感性的所与を生み出せる場を作ろう

―権威が堕落する図式―

□はじめに
私がFacebookに投稿した内容に共感して頂いた友人の小森さんが、より多くの人々に読んで頂きたいとNoteという媒体にも彼の手で掲載して頂くことになったが、新型コロナウイルスに関する一連の投稿に対して政府の関連機関から警告や抹消が来るかもしれないとの彼からの連絡があった。それらが来るのを楽しみにしているが、今のところ何もない。私の提案に瑕疵がないことを分かっていて、これまで同様無視しているのであろう。しかし、極ごくわずかであるが、素晴らしい感性の持ち主に出会えたことは、私の所期のもくろみ通りで、これらの数少ない人々の手によって徐々に醸されていくと期待している。前にも述べたように、GAFAを創設した連中は、まさに現代の物質文明の先端を行く連中であるが、感性の欠落したミュータントのようなものである。しかし、このツールを有効に使わせてもらうことで世界中に正しい情報を伝えていくことが出来るのは私にとっても有難いことである。

□権威が堕落する図式
最近、誘われて弘法大師(空海)の生まれ変わりといわれる高徳の僧を訪ねた。護摩の法要に集まった多くの人々を眺めているうちに、これまでの宗教が本来の権威をなくし、権力となる堕落の図式が何となく見えてきた。この後、これまた不思議なことに創価学会の招きで会員たちと一緒に観光バスで学会本山詣でに出掛ける機会があった。その折、添乗していた創価学会のメンバーがバスの中から外に向かって手を上下させながら、「下にい、下にい。」と言って昔の大名行列の真似をしていたのにはたまげてしまった。創価学会員になることが選良の民の証であると位置づけることで優越感を持たせ、宗教の虜、奴隷にしようとしている意図が見て取れた時、なにゆえ宗教が堕落するのかという長年の疑問が解けた。人間の性(さが)は無明で、“衆生済度し難し”の感が深まった。権威が権力に換る図式を考えると、以下のようなるのではないだろうか。弘法大師の生まれ変わりと言われる僧が、生まれながらにして叡智と光明を持っていたとしても、彼によって済度されたいと願う多数の人々に対して一人ひとり応対するのは物理的に不可能である。そこで、当然交通整理をする人間が介在するようにならざるを得ない。
この人間が高僧と同じ意識レベルの者であれば問題はないが、往々にして意識レベルの低い者で占められ、高僧を取り巻く人間が増えれば増えるほど権威の中身は変わらないにしても、その人物のカリスマ性が高まり、仲を取り持つ人間の力が必然的に強くなる。その結果、そこに権威とは何の関係もない低次元の権力が生まれ、高僧の意志とは関係のない方向に進んでしまうのであろう。そして、本人が昇天してしまった後は、その取り巻き達によって仏として祭られ、現世の御利益を取り巻き達が吸い上げることで堕落することになる。これに失望した人たちは、すがるべき新たな権威を求めて右往左往するという繰り返しをこれまで続けてきたのであろう。権力は常に少数の人間が握るため、絶対多数の弱者は常に新しい光明を求め続けるのであるが、権力にすがる限り、必ず別の権力に取って代わられるだけであろう。創価学会は、公明党なる政治団体を立ち上げ、巧妙に時の政治権力と野合して保身を図っているが、天理教やその分派である大道教は衰退の一途をたどりつつある。共産党もマルキシズムという教義を信奉する新興宗教の類で、真面目な党員を食い物にしているだけで、本来の政治に対して権威としての具体的な政策が何一つ提案されていない。国家も正にこの図式である。権力側の権力の形は、腕力、軍事力であったり、宗教、科学やイデオロギーであったりするだけで中身は全く同じである。
それでは、なぜこのような愚劣な行為が際限もなく、賽の河原の石積みのように行われるのかを考えてみよう。(続く)2020/3/29

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野村隆哉
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