#18 映画「Dr.Bala」を観て
切れ味の悪いメスが、私の頬を鈍く開いていく。
麻酔は効かない。
激痛と混乱に耐える。
オペ後は顔の中心に大きく傷跡が残る。
その傷跡は生涯かけて心まで侵食する。
映画「Dr.Bala」を視聴したあと、私は目を閉じた。
発展途上の医療の現場でオペを受ける患者さんの気持ちを想像をしたのだ。
想像しただけで辛く苦しい。ただただ、苦しい。
*
「Dr.Bala(ドクター・バラ)」は2023年4月29日に放映されたドキュメンタリー映画だ。
Dr.Bala(ドクター・バラ)こと日本人医師の大村先生は、約12年間、国境を越えて東南アジアで医療ボランティアを行っている。
国を越えた人と人とのつながりや、そこで起こるドラマが繊細に描かれていた。
ライター界の巨匠・佐藤友美さんが運営する「今日もコレカラ」の記事でこの映画を知った私は、この映画を観る前にこんなポストをしていた。
>>>「脳を撹拌される覚悟で観る」
しかし観終わっての感想は「まだみる覚悟が足りていなかった」だった。
だからまず冒頭の「切れ味の悪いメス」の想像から始めた。
恵まれた医療環境で生まれ育った私は、他国のひどい医療環境についてなんて、真剣に考えたことがなかったからだ。
血を吸わないガーゼ、皮膚をまともに切れないメス、麻酔のない手術、当たり前に起こる術後の合併症・・・何もかもが衝撃すぎて、信じられなかった。
そんな医療環境を改善したいと思い立ち、大村先生はミャンマーをはじめとする東南アジア諸国に向かう。
「患者さんだけでなく医療現場に携わる人も、全員を笑顔にしたい」
私は大村先生の姿勢をみて「ボランティア」をはき違えていたと思い知らされた。
大村先生は現地の人々に「手を差し伸べる」のではなく、「同じ目線で生きる」という考え方なのだ。
譬えるなら「沼に落ちた人に手を差し伸べる」のではなく、「自ら沼に入り、落ちた人に『どうやったらここから抜け出せるのか』を教え、そして時には一緒に考えながら、沼から這い上がる」のである。
それも根気強く、しっかり教える。どんなに時間がかかっても。
その大村先生の並々ならぬ熱意が映し出されている1コマ1コマが、私の目から脳にドクドク注入され、脳がぐるぐるにかき回される。
それは「人のために国のために自分を捧げられる人だ!」なんて、感想とも違う。
大村先生は、毎年の1週間の夏休みを用いて赴く各国での医療ボランティアを「自分へのご褒美」と笑顔で語るからだ。
発展途上のアジアの医療を根本から変えたい。
一緒に現場を変えていける医療従事者を一人でも多く。
正しい治療やオペで笑顔になる患者さんを一人でも多く。
大村先生は常にこのマインドで生きている。
そのマインドが国境を越えて、人々と医療現場を今も動かし続けている。
*
エンドロールが流れた時、私はまだ作品の中盤あたりに取り残されていた。
もちろん最初からリプレイする。
2回目の「Dr.Bala」には脳だけでなく心が動かされた。
今度は耳の後ろあたりの脳が刺激を受け、同時に心が熱くなる。
3回目の「Dr.Bala」は、早送りや巻き戻しをしながらみた。
大村先生が自身の使命を果たすため、具体的にどのような行動をとったのか、というシーンにスポットを当てて学びたかったからだ。
そうやって3回みて、分かったことが1つあった。
今の私には、この作品を100%理解し受け止められる経験値やキャパシティーがないということ。
でもそれでよい気がした。
なぜなら、この映画を受け止めたふりをして、「考えることをやめる」ほうが、いけないことのような気がしたからだ。
答えが欲しくてずっと考えていれば、「Dr.Bala」は私の中で再生し続けられる。
恥ずかしながら今回は、「大村先生の覚悟と使命感がすごく伝わってきた」や、「大村先生との出会いで人々や国が少しずつ変化していく様子に胸を打たれた」など、抽象的で月並みな感想しか書けない。
私が将来「ライターです」と、もっと胸を張って言える日がきたらもう一度この映画をみてみよう。
もしかすると、今日とは違った感覚でちゃんと咀嚼して飲み込んで、言語化できるようになるかもしれない。
でも心のどこかで、この映画の答えは、私の一生をかけて探し続ける気もしている。
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