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話し合い
やっと、この日が来た。
23年間ずっとこの日が来ることを願っていた。
当初、心療内科の先生や叔父、顧問弁護士の先生は
「謝らないと思う。謝ったら非を認めることになるから。」
「時効が過ぎてるから、どの方法でいけるか」
![](https://assets.st-note.com/img/1726895887-atOERNGzi610dJYkrKlCogHv.jpg?width=1200)
私は何を言われるのだろう。
心を殺されるのではないか、
23年経ってやっときた日に心を殺されるのではないか。
親しい人それぞれに遺書を用意したくらいに不安で怖かった。
手も震えた。
過呼吸になるのではないかと。
一度だけではなく二度、「話はしない」
「卒業生だとしても会う気はない」
「議事録はあるが誰も覚えてない」
「ヒアリングの内容も教えない」
「議事録の開示はしない」
断られた。
仕方がないので、父と叔父の名前を出し
外部の評議員25人に手紙を送った。
叔父は、前日の夜
「退任前、いくつか仕事のオファーはあった。
でも全て断っておいて良かった。
もし、またどこかの会社に所属したら
僕は今回の件に関わることはできなかった。」と明かしてくれた。
「君は死んではいけない。闘うんだ。」
「お父さんも僕もT(弁護士)もいる。」
心療内科の先生は、前回の診察で
「正義は勝つものなんだよ。」と言った。
この23年、正義も何もないと思って生きてきた。
未来を考えることもできなかった。
ただただ、自分に何か娯楽を与え、ずるずると生きてきた。
どうにか自分の人生を終わらせられないかと。
でもこの日を、ずっと、この日を23年間
ずっと
この日を
どれだけ待っていたか。
こないかもしれない、でも必ず、いつか。
![](https://assets.st-note.com/img/1726776651-CQ7AuYnr3eflIGJ5049hwWP2.jpg?width=1200)
※この話はフィクションかもしれません。