[テキスト編集版] Tokyo TRANSLATION MATTERS AT19:00 戯曲翻訳(の話)をしよう 3rd session 「トム・ストッパードを探す5人の訳者」
◎2021年12月11日に実施されたトークイベントの編集記事になります
出演■小川絵梨子 常田景子 広田 敦郎 小田島恒志(特別出演)
司会進行■小田島創志
会場■すみだパーク SASAYA CAFÉ
TRANSLATION MATTERS
https://translation-matters.or.jp/index.html
§0 はじめに/小田島創志×小川絵梨子
§1『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』
翻訳家/小川絵梨子
§1-1 あらすじ
§1-2 小川さんが悩んだセリフ
§1-3 恒志さん、「見事な訳」と悔しがる
§1-4 自分が演出するときの翻訳
§1-5 ストッパードの翻訳論
§2『良い子はみんなご褒美がもらえる』
翻訳家/常田景子
§2-1 あらすじ
§2-2 モデルとなった二人
§2-3 常田さんが選んだセリフ
§2-4 長台詞の温度と湿度
§2-5 恒志さんがうなずいた一行目
§2-6 裏の意味で訳す
§2-7 政治情勢を背景にした作品
§3『アルカディア』
翻訳家/小田島恒志
§3-1 あらすじ
§3-2 われアルカディアにもありき
§3-3 恒志さんが選んだセリフ
§3-4 「肉欲的な抱擁」ってなに?
§3-5 種が石の地面に落ちて
§3-6 オナンの罪
§3-7 「ここまで訳すのに20年」
§4『コースト・オブ・ユートピア〜ユートピアの岸へ』
翻訳家/広田敦郎
§4-1 構成のこと タイトルのこと
§4-2 広田さんが選んだセリフ1
§4-3 「フィヒテこそ男だ!」
§4-4 ミハイル・バクーニンとアレクサンドル・ゲルツェン
§4-5 性的不能と革命への情熱
§4-6 広田さんが選んだセリフ2
§トム・ストッパード資料編
§資料編-1 劇作家になるまで
§資料編-2 人権問題への関わり
§資料編-3 主な受賞歴
§資料編-4 主な作品
木内)19:00になりましたので始めます。今夜の主催の木内です。TRANSLATION MATTERSという集まりは、戯曲翻訳者が、文学者や研究者としてではなく、演劇を作るひとりの表現者として、企画を発信してゆこうという意気込みではじめました。
昨年(2020年)から、広田敦郎さんの呼びかけで、戯曲翻訳者で勉強会を開いてきました。翻訳者が何人か集って翻訳を検討すれば、「自分ならこうするのに」というぶつかり合いが起こりそうですが、互いの翻訳に対して深い部分で共感し合うことがとても多く、戯曲翻訳者どうしの共感力の高さに、あらためて驚かされました。きっと、これは、とても大事なことだと思います。上演までには一つに絞らなければならない訳語の可能性をいつも開きながら、検討に検討を加えて決定していく思考プロセス。それは劇場の観客に届くものではありませんが、そこにはとても劇的なものがあります。
今日はトム・ストッパードの作品をテーマにしながら、小田島創志さんの司会進行で、4名の戯曲翻訳者からそれぞれが関わった作品の翻訳プロセスの話を聞いてみたいと思います。
(出演各氏の紹介、略)
§0 はじめに/小田島創志×小川絵梨子
創志)みさなん、トム・ストッパードというとどういうイメージをお持ちですか?たぶん一定数の方が思ってらっしゃるのは、難しい、ややこしいというイメージが多くて、あと、シェイクスピアの引用が多いとか、パロディが多いみたいなイメージを持っていらっしゃるんじゃないかと思うんですけど。今日はその難しさとか魅力とか、翻訳者の目線からどう見えるかをそれぞれ話してもらおうと思うんですが。
2015年初演の『The Hard Problem』っていう作品があって、脳という物質からいかに意識っていう精神が生まれるかっていうことを扱ってる作品で、タイトルは、意識の “Hard Problem” っていう用語から来てるんですが、それを読んでると、ストッパードを読むこと自体がハード・プロブレムだなあって思うくらいすごく難しくて。その難しさを、今日は4名の翻訳者の方に、どの部分が難しくて、どこを工夫したのかを、原文と翻訳文を並べながら話してもらいます。
そう言えば、今年(2021年)3月にストッパードの『ほんとうのハウンド警部』という作品がシアターコクーンで上演されまして。かなり初期の作品なんですけど、その演出を小川絵梨子さんが担当されて。(小川さんに)率直にどうでしたか?
「これが面白いんだと役者さんに信じてもらうのが難しかった」(小川さん)
小川)難しかった、ですね。やっぱり。面白い言葉が書いてあるわけではなくて、(作品の面白さは)構造だったり、壮大なパロディだったりするんですけれども、それをそのままやったら面白いんだよって思ってもらうまでが、稽古場で難しかったと思います。
創志)アガサクリスティの『ねずみとり』のパロディになってるっていうー で、劇評家が出てきて、舞台上でやってる劇中劇に取り込まれちゃうっていう芝居で、そういう構造自体が難しいっていうこともありますかね。
小川)劇評家っていう存在もそうですし、イギリスでやってる時は、『ねずみとり』は何十年もやってる作品なので、みんな、「あ、これのパロディだな!」ってわかるんですが。水戸黄門のバロディだったらすぐ、おじいさんが黄門さまで、これが助さん、これが格さんってわかると思うんですが。それに、ストッパード自身が批評家をやっていらしたことがあったので、批評家をちょっと揶揄しながら自虐的でもあるみたいな、「そんなに言うならおまえがやってみろ!」っていうような。構造を遊ぶっていうこと自体がすごく面白いんですけれども。なかなか土壌が違うと難しいところがある、ま、結局、役者の方に助けてもらってみんなで面白くやろうということになったんですが。演出としては自分の言葉の足らなさを感じたというところです。
創志)パロディになってるということで言うと、小川さんが翻訳された『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』という作品は、まさに『ハムレット』のパロディじゃないですか。『ハムレット』は日本でも有名な作品ですが、それを端役の二人ローゼンクランツとギルデンスターンの視点で見たハムレットの世界。あらすじは配布の資料を見ていただきたいのですがー
§1『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』
Rosencrantz and Guildenstern Are Dead
翻訳者 小川絵梨子
§1-1 あらすじ
シェイクスピアの戯曲『ハムレット』に登場する端役のローゼンクランツとギルデンスターンの2人を主人公とした物語。この2人の視点から『ハムレット』の世界が展開される。ハムレットの学友である2人は、デンマークの王クローディアスに呼び出されて、「狂気」に冒されているように見えるハムレットの相手をしつつ、その真意を探るように言われる。ハムレットにはまともに相手をしてもらえず、2人は『ハムレット』という物語の枠組みのなかで翻弄され続ける。
§1-2小川さんが悩んだセリフ
創志)これは2017年に世田谷パブリックシアターでやったんですよね。小川さんにピックアップしていただいた箇所を見てみます。
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