心は叫びたがっていたのかも知れない
劇場アニメ『心が叫びたがっているんだ』を観た。
誰もが「言いたいこと」「言えなかったこと」を抱えていて、心の声に背を向けてやり過ごしていた。それでも、向き合わなきゃならない時はいつか来るし、そのきっかけはすぐ近くに転がっているのかも知れないな、と思わせてくれる良作だった。
思えば昔から、僕も心の内を晒すのが苦手だった。
言葉にしてしまうと、開いた口の端から大切なものがこぼれ落ちてしまうような気がして、でかかった言葉を飲み込んできた。
特に自分の本当に好きなものや、やりたいことに関してはその傾向が今でも顕著に出てしまう。
そんな僕にとって、音楽は救済だった。
たとえ借り物の、誰かの書いた言葉だとしても、気持ちを歌に込めることは、僕にとって感情を発散させることと同義だった。
だから、初めて人前でライブをした時、初めて自分の感情を他人にさらけ出せた気がして、ステージの上で少しだけ気づかれないように泣いてしまった。リンダ・リンダの大合唱は、今でも人生で一番美しかった光景の一つだ。(写真真ん中が当時の僕)
コール・アンド・レスポンスは対話なんだと感じた瞬間でもあった。
歌を通じて、本当の意味で誰かと対話ができたような気さえした。
*
大学生になったくらいから、歌詞を書くようになった。
(思えば、僕の書くことの原点はここにあるのかも知れない)
言葉にならないような感情を、一つ一つ丁寧に解きほぐして、歌詞として紡いでいくと、感情が形を帯びるような実感があった。
そして感情の形が鮮明になればなるほど、実際にそれを言葉として扱うことができるようになった。
ノートに書き溜めたその歌詞のほとんどが、メロディに乗ることはなかったけれど、僕は書くことで、自分の感情に折り合いをつける術を手に入れることができたのだった。
(書き溜めた歌詞には、いつかメロディをつけてやりたいと思っている)
noteを始めたのも、自分の感情と向き合うためだった。
心の声に背を向け続けた結果、僕はうつ病になってしまった。
ずっと、心は叫びたがっていたのかも知れない。
体を通じて、SOSを発していたのだ。僕はそれを無視してしまっていた。
同じことを二度繰り返さないために、できる限り感じていることを言葉に残しておきたいと思って、投稿を始めることにした。口に出せないなら、せめて文字にして、できれば多くの人にそれが見える形で公開しよう、と。
きっかけをくれたのは、大学の後輩の投稿だった。(記事を初めて読んだのは去年の年末ごろ)
僕もこんな風に、文章を通じて自分と向き合ってみたいなと思った。
そして実際、自分で書いた文章を改めて読むことは、自分の心の声と向き合うことのような気がした。
書けば書くほどに、自分という人間の輪郭が色濃くなっていくのを感じている。
僕が僕という形を保つために、書くということは必要だったのかも知れない。
読書感想文や、記述式の問題が大の苦手だった僕が文章を書くことが好きになるとは、なんとも不思議なものではある。
心との対話は、始まったばかり。
心も頭もどちらも不器用だけど、上手くやっていきたい。
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