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音楽で食っていかない

かれこれバイオリンを始めて20年になる。小学生の頃、最初はバイオリンの先生になるのが将来の夢だった。それからもうちょっと背伸びして、バイオリニストになりたいと思った。

母が小さな子供用のバイオリンを買って見せてくれた時のことを、映画のワンシーンのようにそこだけ覚えている。習い始めの頃はバイオリンの、指で押さえる部分にテープを貼っていた。毎日毎日盆正月問わず、365日練習していた。母と喧嘩しながら練習した時もあったような気がするが、そこに関しては確かな記憶がない。

もう、バイオリンに毎日触れるということが当たり前だった。朝ごはんの時にはクラシック音楽が流れ、学校から帰ってきたらすぐバイオリンの練習をする。そんなのが日常で、私は音楽のない生活を知らなかった。旅行の時には角部屋予約し、ほんの数十分でも練習していた気がする。時折、風邪をひいたりしてバイオリンに触れない日があると、明日には下手になっているんじゃないかとそわそわした。

音楽は、生活の一部であり過ぎてそこに感動とか演奏する気持ちよさとか存在しない。歯磨きをするように、やらなければいけないものだと思っていた。

2006年だって
先生(左)とそれを見て笑っている私
我ながらかわいかったんだな笑

それから、もう少し成長すると土日のどちらかは(時々土日両方)高速道路に乗って練習に通う日々が始まった。一緒に楽器をやっていた妹と。教わるのであれば一流に、という母の考えもあった。今思い出せば、人と環境に本当に恵まれていた。

バイオリンは好きだった。練習が苦痛だったかと聞かれれば、全くそんなことはない。けれど、夢中になるほどでもなかった。辞めたいと思ったことはないけれど、何となく今日は弾きたくないなと、気が向かないなということもあったような気がする。音楽自体が好きだというより、バイオリンを通してきらきらした衣装を着て舞台に立ち、お客さんから拍手をもらえることや、コンクールで賞状をもらえることが嬉しかった。

テレビ番組で、プロの音楽家やコンクールの密着を見ると、本当に自ら楽器を大好きになって没頭するような方々がいる。そういうのを観ていると、やっぱり自分との違いを感じる。

***

そんな私は、今や片手間にバイオリンをやっている。片手間、という表現はすっごく音楽に対してリスペクトがないように聞こえるが、そういうことではない。バイオリニストは目指していないし、音楽を生業にしようと思わないしできない、ということだ。

大学受験を機に、毎週レッスンを受けに先生のところに通うことをやめた。毎日していた練習も、
「もうええんちゃう?」
と母に言われ、やめた。私が義務感でバイオリンに触れていたのを見透かされていたのかもしれない。受験勉強でヘロヘロになりながらも、とりあえず楽器を鳴らしていた。そんな音は聞くに耐えなかったか。まあ、そこまででもないか。

大学生になって初めてまともに部活動をした。これまでは、一応陸上部だのバレー部だのに所属していたけれど、大会の日がコンクール直前でレギュラーを辞退したり、そもそも練習もちゃんとしていなかった。

これまでは、バイオリンというほぼ個人プレーまたはオーケストラといってもゆるっとした集団にしか属していなかった。大学で部活に入ると、集団生活が如何なるもので先輩後輩関係があるということに、最初は上手く馴染めていなかった。同期の部員は、大学の上下関係が緩いとこぼしていたがこれがほぼ初めての部活動である自分はまともな挨拶ひとつできないほど、手こずっていた。

バイオリン以外に一生懸命になった時間もすごく貴重だった。自分勝手な行動をする後輩である私にも、部活の中で居場所を作ってくれた先輩たちには本当に感謝している。

だけど、ふとクラシック音楽欠乏症を発症してしまう。

バイオリンを弾きたい。舞台に立ちたい。演奏会を聴きに行きたい。

そうなると行動は早い。音楽を補充しないといけないと衝動に駆られる。(大学の勉強は最低限しかしなくなる。)自ら出られる演奏会を探して、オーケストラでの演奏経験を積んでいく。本番を積み重ねると、コネクションができてきて、また出られる機会が増えていく。そこで出会った人の演奏会に行くような機会もできた。

いつかのオーケストラの練習風景
友達が撮ってくれてた
真ん中の👍が私

そうなると、バイオリンを弾くこと自体がこの上なく気持ちいいいいいいい!

演奏している時の一体感。自分と同じ音や、違う音が重なって、熱を帯びていく。わああああああっと盛り上がってくる。指揮者の汗が飛ぶ。練習で意識していたことが、全部無意識になってかつ冷静な頭の部分も同時に存在している。全力疾走しているような、周りがくっきりはっきりと見えるような、でも何も見えないような気分になってくる。

これだから、結局音楽はやめられない。自分の感情が意識していない部分まで、音になっていく。まだまだ、技術が表現に追いついていない感じは否めないし、独りよがりな演奏になりがちだが、それでも熱量で押していくのもまた一興ではないか。自分に音楽があってよかったと思う。この気持ちはきっと他には変えられない。音楽をやっている人にしか、本質的には伝わらない。

小さい頃の、ただただ音階を繰り返したりした地道な練習があってこそ、ある程度自分の弾きたいように弾ける。音楽の前で、素直になれる。音楽で食っていけるほどの技術や才能がなくても、だからこそ自分なりの愉しみ方がある。

私は音楽を辞めない。

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おなかすいた
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