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NO.64 小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』に隠されたもの



昨日、NHKBSで小津安二郎の遺作となった映画『秋刀魚の味』(1962(昭和37)年公開、デジタル・リマスター版)を観た。


物語は例によって娘(岩下志麻)の結婚を心配する父親(笠智衆)の哀しみを描いている。

表面だけ観れば、『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)を撮った巨匠 小津安二郎の遺作と呼ぶには(カメラワークや台詞回しが)マンネリズムに陥っているようで、僕は少し寂しさを感じてしまう…


しかし、この映画では、(笠智衆が少し母さんに似ていると語る)岸田今日子の営む、どこか「異界への入口」とも呼びたいBARが精彩を放ち物語の救いになっている。

(ふと、ドラマ『たそがれ優作』で主人公の北村有起哉が通う坂井真紀が営むBARを思い出した…)


このBARで軍艦マーチをかけながら、加東大介、岸田今日子と海軍式の敬礼をするシーンでの笠智衆はとても楽しそうに見える。


海軍ではおそらく名艦長だったと思われる笠智衆の戦後の17年間の人生は、どうもあまり充実した時間だったようには見えないけれど、このBARにいる時は彼にとって唯一自分自身でいられる桃源郷のような時間なのかも知れない。


内田樹さんはこの『秋刀魚の味』を小津安二郎のオールタイムベストワンの作品にあげてこんな風に語る。


「小津安二郎の映画は全部好きですけど、一つだけ選ぶなら『秋刀魚の味』です。たぶん20回は観ています。他の小津作品では1回きりというのもありますが、これだけは何度観ても面白いし、そのつど新しい発見がある。

娘の結婚話がメインのストーリーですけれど、隠れたテーマは戦争です。映画の最後は「守るも攻むるも黒鐵の、か」という「軍艦マーチ」の一節で終わるんですから。この吐き出すような「か」の破裂音に主人公・平山(笠智衆)の戦争経験のすべてが込められている」


更に内田さんはこんな風に続ける。


「戦争経験者の一番つらいことは自分が経験したことを他人と共有できないことです。記憶を確認し合い、その経験の意味について語り合うことができないことです。家族とも友人とも共有できない。戦争のときに自分がしたこと、自分の眼で見たことをそのまま話してしまったら、父として夫として家族に向ける顔がない。一市民として生き続けることがむずかしい。だから、口をつぐむしかない。戦争から帰って来た男たちはみな程度の差はあれそういうトラウマを抱えていました」


例のBARのシーンについては、


「坂本(加東大介)はその中にあって例外的に深い心の傷を負わずに戦争を生き延びた人物です。だから、彼は戦争について大声で語ることができる。「軍艦マーチ」を懐かしみ、バーのマダム(岸田今日子)に海軍式の敬礼の仕方を教え、「アメリカに勝っていたら」というような妄想もたくましくすることもできる。平山の「負けてよかったじゃないか」という言葉に応じて、「そうかもしれねえな。バカな野郎がいばらなくなっただけでもね」という涼しい戦争総括もできる」


この映画には、笠智衆が学生時代からの親友の中村伸郎と北竜二と他愛のない雑談を交わすシーンが何度か出てくるけれど、彼らは戦争の話は一切蒸し返さない。


この3人も笠智衆の息子たち2人も、どこか大人として成熟仕切れない幼児性があるとする内田樹さんの文章はこんな言葉で終わる。


「戦争は男の幼児性が生み出します。女たちも男の幼児性の犠牲となって苦しみます。『秋刀魚の味』は「男はどう成熟するのか」という小津の生涯変わらぬ問いをめぐる映画ですが、それゆえ「反戦映画」として、あるいは「フェミニズム映画」としても観ることができる。そういう多面性と深みを具えている。ですから、『秋刀魚の味』はこれからも決して古びることがないだろうと僕は思います」


そう思うと、この映画に僕が感じたマンネリズムは、小津安二郎がその奥に「反戦映画」「フェミニズム映画」という意図を隠すための一種の含羞だったのかも知れないと思えてくるのです。









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