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限界前のエスプレッソ頼み・苦しい時の神だのみ

ストレスがかかってる時……

寝る。

それ以外に取れる方法は、僕の場合、もう少しある。
紙に状況と感情をうわあーーーっと書きなぐること。
「ええい、こうなりゃやけだ! やっちまえ!」的に、コンビニのカルビ焼肉丼をひたすら食うこと。
散歩。
走る事。
水泳。
座禅にもならない座禅。

あとひとつ、
エスプレッソカップを目の前にして、一息つくこと。

ストレス過剰になった日々の積み重ねを、どこかで。どこかでガス抜きしてやる必要がある。

何をふせごうとしているかというと。。。

僕は、「自分の怒り」がだれか特定の人に向かってバーストするのが嫌いなのだ。

生涯ただ一人の親友が、親からの暴言・暴力のごみ箱にされていて、それがほんとうにたまらない。あの加害者の立場に立ちたくないのだ。

バーストしてしまってからの「やってしまった」感がはんぱない。きっと、人殺しをしてしまったレベルで、なにかが取り返しのつかないことになっている。

それは僕の中で、カナリアが歌えていた歌が歌えなくなったような、春の景色を見ることができていた心の目が失明してしまったような、自分の暴虐によって、なにかそんな取り返しのつかないことを、自分にも、相手にも、やってしまったような感覚……ひどい、ひどい感覚がある。

それを防ぎたい。

巷では、「感情のコントロール」という言葉が当てられていることがあるけれど、少し表現が不十分……いや、勘違いされた表現であるように感じる。

むしろ、それは、

・感情暴発の回避
・感情暴走の予防

こんな言葉が適当だろうか。

管理したいわけじゃないので、コントロールという言葉は選びたくない。
コントロールの副作用や反動(押さえつけに対する反作用)に無知なまま、平気で「コントロール」なんて言葉を使っているような、そんな感覚もいやだ。

そもそも僕、ストライクゾーンへの野球のボールの投げ込み率、4割切っちゃうんで (笑) だから、「コントロール」ではない。

わーっと怒りがバーストすると、くらった方も制御不能をやらかした方も、すごくダメージくらうんだよね。
八つ当たりなら「八つ当たりしてごめん」って後で言える感覚があって、それを越えてしまってる感じ。

ゆっくりあと2分。あと2分。
せめて、不機嫌とか八つ当たりのレベルに戻ってくるまで。

不機嫌とか八つ当たりのレベルにもどったら、あと一息だ。そしたら、あとはもう、何かに没頭すればいい。

苦しい時の神頼み。限界前のエスプレッソ頼み。

夜中に、ごりごり……ごりごり、手まわしミルで挽くコーヒー豆。
体にぱんぱんにつまったストレスの数々が、コーヒーの布袋にぎっちぎちにおさまったコーヒー豆に置き換えられ、コーヒー豆の大きさのストレスの数々が、手回しミルでゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと粉になっていくまで。

「自分をふくめて、誰も傷つけたくないんだ。」

そうつぶやいたら、心の通じた誰かが、黙って目を伏せて笑ってほしい……

そんな、ひとりぼっちの夜。

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高橋照美
「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!