『孟夏の太陽』(宮城谷昌光)
中国の歴史に興味がなくても、あるいはこの時代に興味がなくても、第2話「月下の彦士」はお勧めできる。ドラマや映画の題材にもなった、感動の物語だからである。
取り敢えず読んでみたいという人は、図書館でもいいし、所有している人に借りて読んでもいい。他の時代や国の歴史に興味があれば、他の話も含めて、手元に置いておきたくなるだろう。古代中国史に足を踏み入れる、きっかけになるかも知れない。
『孟夏の太陽』の舞台は、中国の春秋時代、晋の国。
趙氏一族の興亡を描いたもので、最初の主人公である趙盾(ちょうとん)は、紀元前600年頃の人物である。
卑弥呼が中国の三国時代、魏の国へ使者を派遣したのが238年だから、そこからさらに700年以上も昔の話である。中国史に興味がなければ、どんな社会なのか想像も付かないだろうし、そんな時代に人間物語があるのだろうかと疑問に感じても不思議ではない。
だが、周の国が興ったのが紀元前1100年頃とされている。その年数に誤差はあっても、存在は確認されている。それから500年も経っている。当然、文化も形成されている。日本とは時代感覚が異なるのである。
さて、趙氏というのは晋の国では名門のひとつであり、戦国時代には「戦国七雄」のひとつ、趙の国の王となる。その祖先たちの物語となる。
冒頭に挙げた第2話「月下の彦士」は、司馬遷の『史記』や、孔子の『春秋』を元にした「春秋三伝」にも載せられている史実で、『趙氏孤児』として、中国ではドラマや映画にもなった話である。
実は趙氏は、この時点で一族をすべて殺されるという憂き目にあっているのである。唯一、産まれたばかりの趙武だけが難を逃れ、やがて趙氏を復興させ、正卿という宰相職にも就き、先に述べたように子孫は戦国時代に趙の国の王となる。彼がいなければ、戦国・趙の国は無かったわけだ。
晋の歴史は、いわゆる「春秋五覇」のひとり、晋の文公こと重耳(ちょうじ)から始まったと言っても過言ではない。
実際にはそれ以前から系譜は続いているのだが、文公の時代に覇権を得た。彼は十九年もの間、各地を流浪していた苦労人でもあり、春秋時代の最高級の英傑と言っても良い。日本でもとても人気のある人物だ。彼についても宮城谷氏が『重耳』という作品を著しているので、これもお勧めしておく。
話が逸れたが、第1話の趙盾は文公に仕えた趙衰(ちょうし、ちょうさい)の子である。彼は、頑固で生真面目で、普段は冷静なのに、情にほだされやすく、時に激情家でもあるというような、友達として付き合うには少々骨の折れる人物と言って良いかも知れない。複雑な性格で、これでも正鵠を得ていないかも知れない。宮城谷氏の『沙中の回廊』は士会(しかい)という人物が主人公で、彼は晋に仕えながらも、秦へ亡命し、後に帰国した人物だが、彼の視点から見た趙盾は、『孟夏の太陽』の趙盾とは印象がかなり異なるので、宮城谷氏も彼の性格を把握しきれないのだろう。
ちなみに「孟夏の太陽」というのは趙盾への評価で、「趙衰は冬日の太陽、趙盾は孟夏の太陽」とされたことにちなむ。
内容のあらすじすら語るつもりはないので、第3話についても、趙衰から数えて6代目となる趙鞅が主人公の物語とだけ言っておこう。彼もなかなかに複雑な性格の持ち主で、一度読んだだけでは把握しきれない。
この時期になると、晋公(晋の国主のこと。王ではない)の威光はかなり弱くなっており、政治は大臣たちがやりくりしているのが実情である。そして、大臣たちの派閥争いも激しくなる。外部の戦争と内部の政争とが入り乱れて、ややこしい。
第4話は趙鞅の子の趙無恤(ちょうぶじゅつ)の話にはいる。晋の大臣の中で権勢を振るうのは四氏だけとなり、最大の力を持つ智氏は晋公を追い出しても次代の晋公を据えることをしなかったので、国主がいない状態になる。さらに智氏はあたかも国主のように振舞い、他の三氏へ圧力をかけていく。
歴史を後世から眺めてみれば、残りの三氏である趙氏、魏氏、韓氏が勝利し、晋公の代わりに彼らが国主として独立することを周王室から承認される。これにより晋は滅亡し、代わりに趙、魏、韓という国(まとめて「三晋」と呼ばれるのもそのため)が戦国七雄の一角として戦国時代を生き抜いていくことを知っている。しかし、実は滅亡させられていてもおかしくなかったのである。その状況において命がけの興亡を演じた人たちの物語となっている。
歴史を学ぶ時に犯しやすい過ちのひとつに、歴史の流れや勝者は確定していると思い込んでしまうところにある。
日本でいえば、織田信長が今川義元に勝ったのも、後に豊臣秀吉が日本を統一したのも、徳川家康が幕府を建てたのも、当然の成り行きと思ってしまう。しかし実際には、同じ時代には彼らよりも権勢がある存在は多く、彼らよりも広大な領地を持っていた存在ですら弱体化、あるいは滅亡させられている。同時代の人たちから見れば、むしろ信長や秀吉や家康のほうが、いつ滅んでいてもおかしくなかったのである。
同様に、戦国七雄のひとつである趙も、春秋時代から続く家とはいえ、一度は実質的に滅び、さらにもう一度、滅亡の危機があった。
歴史全体から見れば、趙氏一族の興亡という些細な内容である。
しかし、その時代の人たちが何を考えていたのか、どうやって生き延びたのか、その息吹を感じることが出来る。当時の思想や制度は現代日本人には理解しがたい部分も多いので、最初はさらっと読み飛ばしてもいい。
歴史を学ぶつもりではなく、かつて生きていた人たちのドラマとして読んでもらいたい。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?