今村翔吾 『じんかん』(講談社)
仕えた主人を殺し、将軍を暗殺し、東大寺の大仏殿を焼き払う。「人がなせぬ大悪を一生のうちに三つもやってのけた男」と、あの織田信長に言わしめた極悪人・松永久秀。
その久秀が謀反を起こしたことを伝えに来たのは、小姓の狩野又九郎。信長に激昂されることを覚悟していた。しかし「奴は進めようとしているのだ」と穏やかにつぶやいた後、久秀の来歴を語り始める…。
とまどう又九郎に、信長は何を伝えようとしているのか。
幼いころに父を殺され母を失い、仲間を失い続けたことで、神仏を一切信じなくなった久秀。しかし多くの師に出会い、他者の考えと己の考えを合わせることで、生きる意味を見出す。
実弟の長頼や新たに仲間となった者たちに、理想(戦国時代らしく「野望」と言いかえても良いかもしれない)を説きまい進するが、人の傲慢さと愚かさを敵に突き付けられ、己が信じる正義を揺さぶられる。
敵か味方かに関係なく、立場によって見える景色が違う。目指すところは同じであっても、やり方が違うこともあるだろう。だが目的のためには手段を選ばない。
久秀は、命の恩人であり夢を語り合った友の姓を受け継ぐ。それは遺志を受け継ぐことでもある。神も仏も信じない男は、出会った人々を信じその思いを背負い続けた。
どんな汚名を着せられようとも、己が信じる理想に賭けたのだ。
長い物語を語り終えた後、最後の使者として、又九郎はついに久秀と相対する。
人間。私たちは普段「にんげん」と読むが、「じんかん」と読めば人と人とが織りなす間、という意味になる。そして人と人との間には、言葉が介在する。出会った人々と交わした言葉が、己が生きた証となる。
沢山のものを失ってなお、なぜ再び謀反を起こすのか。なぜ信長は久秀を許そうとするのか。信長は又九郎に何を託したのか。信長の真意を汲んだ久秀は、又九郎に何を託すのか。
著者が示した理想の高さに、驚き戸惑う向きもあるかもしれない。しかし、多くの逸話と最新の学説を踏まえて全く新しい松永久秀像を描き、「人は何のために生まれ、生きるのか」を常に真正面から問い続ける今村翔吾に、私は信を置く。