考えすぎという悪癖
最近、仕事のちょっとしたトラブルで考え込んでしまい、夜寝付けないことがあった。
次の日、朝9:30にアポイントがあるというのに、全く寝られない。
これはまずい、不眠症の症状だ。
不眠は中年の体力にはキツい
風呂に入って、部屋も温かくして、いつもなら寝られる体勢なのに、雑念が脳を巡って落ち着かない。
入眠できたのは朝の5:00になってしまった。
7:00に目覚ましのタイマーで起き、2時間睡眠で1日を乗り切る羽目になった。
2時間睡眠なんて若い頃はしょっちゅうあったけど、40代になってからは初めてだったと思う。
こんなことをしてたらいかんよね。
からだに良くないし、生産性も落ちる。
夜に頭ばっかり冴えて心がざわついて眠れないなんて、成熟した大人のありようではない。
そこで思ったのだ。
考えるのって案外、百害あって一利なしなんじゃないのかな、と。
そもそも考えるってそんな偉いことなのか
「思考」という言葉には高尚なイメージがつきまとう。
学校では、「よく考えて行動し、愚かな行動は慎みましょう」と、行動力よりも思考力、よく考えることが奨励される。
ビジネスの世界でも売れっ子コンサルタントが本などで説く。
「賢い人は考えてから言葉を発する。」
わかりやすく言えば、
「頭がいい人はよく考えていて、頭が悪い人は考えが足りないからいつも失敗する」
というわけだ。
なんか納得して無意識に受け入れてしまう説得力があるのである。考えることは偉い、とする言説には。
「思考」を高尚とする刷り込みの弊害
こうした刷り込みが、いわゆる普通に学校を出て会社に勤めてる人には多い気がする。
その結果、「考えること」を良いことだと思い込んでドツボにハマり、余計なことまで考えすぎて心身を病んでしまうことが結構あるのではないか。
ポジティブな信念が悪い習慣を強化する
そういえば、ある人が言っていてなるほどと思ったことがある。
「ポジティブな信念が、悪い習慣を強化する。」というものだ。
わかりやすいのはお酒だ。
「百薬の長」だとか「飲みニケーション」だとか、肯定的な考えがあるうちは、禁酒は難しい。
僕は昔タバコを吸っていたが、その時も謎の肯定的信念を持っていた。
「面白い人はみんなタバコを吸っている」「成功者や出世している人は喫煙者が多い」など、今思うと全くナンセンスなのだが、当時の僕は本気でそういう信念を持っていた。
「考えることが偉い」という信念も、実は酒やタバコを肯定する信念と変わらない厄介者なのかもしれない。
『考えすぎない練習』という本があるらしい
話が脱線した。
考えすぎて眠れなくなった話に戻ろう。
考えすぎて心が乱されるという事象は、不眠症を引き起こす点はもちろん、日中のメンタルヘルスの観点からもよくない。
この悪癖は治したくて仕方がない。
ちょうどこの課題を自覚しているタイミングで、ある本の存在を知った。
…なるほど。
とりあえずここは考えすぎずに買って読んでみることにする。
面白い本だったら、noteに感想書きますね。
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