見出し画像

人への期待はほどほどに自分を信じていこうね|カウンセリングの経過

中学生くらいの頃から長い間、家庭環境のことで悩みつつも見ないふりをしてきました。それにやっと向き合う勇気が持てたのが去年。
表面的な対処ではままならないことが増えて、いい加減にこの生きづらさをなんとかしたい!と思ったのがきっかけでした。

気軽に人に言えるような内容でもないあれこれをカウンセラーさんに相談するようになり、約8ヶ月。1ヶ月に1〜2回のペースで話をしてきました。

過去の出来事や、それに起因する現在の悩み、ただただ聞いてほしいことなど、その時々でいろんな角度からお話をしていましたが、つらかった時のことを思い出して、聞いてもらうというやり方(普通はこれ?)が私には合っていました。

共感のできない母、他人のような兄と姉、不仲な祖父母、アンバランスな家庭で、何も問題が起きていないかのように振る舞う自分。

そんな環境で受けてきた嫌な出来事や言葉。
歪な環境で育ったのが原因か あちこちでつまづく人間関係。

受け流していたはずだったことを思い出すと、それがついさっき起きたことのように新鮮な感情が津波のように押し寄せ、泣いてはスッキリする、といったことを繰り返しました。

その過程でトラウマのフラッシュバックのようなものも体験。頭の中が憂鬱でいっぱい。気持ちの切り替えもできず、底の見えない闇にいるような感覚に陥り、生活が乱れてしまうこともありました。そんな状況に陥るのは初めてで、我ながら驚きました。

(↑そのときの記事です)


今年の初めまでは実家に対してなんともいえない感情を抱いていました。
正月、帰省の話題が増えて同僚たちのお土産話を聞いたりするのもなんだかしんどくて、私にとって実家はいい思い出よりもつらい思い出のほうが多い場所だ、ということを改めて感じ、複雑な気持ちになることも。

でもその後、どういうきっかけだったのかは定かではないのですが、ふわっとある考えが浮かんできました。

それは、現在の母や実家に対して悪いところ探しをしてないか?ということ。


昔、嫌なことがたくさんあったことは確かで、それにずいぶん傷ついてきたけれど
現在、離れて暮らしている以上、私は安全で、自分の人生を生きている。

現在、実家とはほどよい距離で接しています。
関わりといえばLINEでやりとりしたり、年2〜3回日帰りか一泊の帰省をする程度。
それでも何気ないひと言で傷ついたりするのは、嫌なことをされるというフィルターをかけているからで、敏感になってしまっているのでは?

昔は昔で、今は今。
そう思うようになってから、バリアを張れるようになった気がします。実家では相変わらず「おや?」と思うような発言はあったりするものの、不用意に傷つかない自分になれたような感覚です。

あと、母に対しては諦められるようになったのかなと思います。

私はずっとただ共感してほしかった。褒められたかった。
しんどいときには頑張ってるねと言ってほしかった。
できない人にそれを望み続けてたんだなと、心が理解したんだと思います。

今でも少し期待する気持ちは正直ある。だってお母さんだから。でも母は猛烈に無神経で不器用で視野が狭い(もはや悪口)
思うようにはならないんだと心の整理をつけられるようになりました。
これは植本一子さんの本に出てきた言葉を借りると「あかるいあきらめ」です。

長いことぐるぐると悩んできた重みは自分自身でよくわかっていて。
だからこういう穏やかな心境に至っていることも不思議です。
まだ完全に大丈夫!と言い切れるわけでもない。
距離があるから楽になっただけとも思うし、前みたいにどす黒いモヤに捉われて身動きができなくなるんじゃないかと、見えないものを恐れるような不安もあります。

でもこの約8ヶ月の間、カウンセラーさんにたくさん話して共感してもらったことや、ジャーナリングで自分のことを見つめ直したり、好きなものを追求したり、noteを書いたり、人とも少し踏みこんだ話をしてみたりと、主体的にいろんなことに取り組むことで、自分に対する信頼のようなものが得られて、何事もなんとかできるかもという気持ちが生まれたのです。

カウンセリングで話す内容も、過去を癒すものから、これからの自分が生きやすくなるためにどうするか、といった内容にシフトしてきました。
やっと自分の人生のスタートラインに立ったような…

再び深く悩む事だってあるかもしれないけど、今の私、なかなか安定している。
そんな今を大切にしたいと思う今日この頃。
最近の心模様でした。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集