とき
昔、彼らは退屈していた。
トランプと石蹴りぐらいしか知らない彼らは、暇を持て余していた。
だから彼らは戦争をして、毎日を刺激的なものに変えた。
緊迫した毎日の果てで、明日よりも今日を、昨日よりも今日を生きた。
今日、僕らは急いていた。
効率化に侵される毎日に、迫り来る明日にため息をついて、
戦争の真似事をして、命のやりとりを手のひらサイズに押し込めて、
明日が必ずやって来るという確信のもと、今日を終える。
今日が日々死んでいくことも恐れぬまま、明日を殺しにいく。
昨日たちは、そうして積み上がった記憶たちで、
絶えず放り込まれる明日を、今日を無駄にしながら踏み倒していく。
もう今の今日を手放したくない。
明日は来なくとも、今日さえあれば、
今日がいずれ萎れてしまっても、昨日たちと共に飾ろう。
「今」が「過去」に変わってしまうのが怖くて、僕らこの道を選んだ。
今日は毎日死んでいき、昨日の山の一石と化す。
2021年3月31日 24:05
僕は4月1日が来ることを拒んだ。
僕の今日はまだ続いている。
僕にとっての真実は、4月1日を生きてる誰かにとっての嘘なのだ。
僕の今日はもう来ない。
今日がこれ以上死なないよう、僕らは今日死ぬ。
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