どんな人生にしたいのか どう生きたいのか
この自分の軸が分かっていれば、
それに応じた選択ができるし
必要なものが集まってくる。
そらそうだわな。
人は、自分の見たいものしか見ないし、
自分でそう決めて、その結果が、今。
ということは、
身の回りを見渡せば
自分が今どう生きたいと思って
生きているのかがわかるということ。
自分が一体何を決めているのか。
どんな人生を送りたいと考えているのか。
少し立ち止まって考えてみる。
・・・幸せではあるんだよな。
仕事も充実しているし、
楽しく暮らせている。
でも、ずっとこのままでいいのか、
と聞かれると、そういうわけでもなさそう。
まだまだやれることがあると思うし、
やりたいこともある。
今の幸せを噛みしめつつ、
先に向かいたい。
ある人に言われたのは、
どうやら私は
家系的にも
苦労性というか
あえて苦労の道を選んでいるようで
それで自分の存在意義を
見出している部分があるそうな。
うーん。
心当たりがある。
父もそう。
貧乏くじをひくような
あえてしんどいことを選んでいるような。
でも、自分がいないと困るよね?
って。
自分は役に立っているよね?
って。
自分は生きている意味があるよね?
って。
生まれてきてよかったんだよね?
って。
確認するように。
もちろん無意識で。
・・・最近、私もあった。
自分は役に立てているのか、
自分が存在している意味はあるんだろうか、
そんなことを確かめたいのか、
自ら問題をつくり出して、
まわりに認めてもらおうとする。
コントです。
ええ。
これはもはや。
結局、承認欲求。
自分で自分を認められていないんだな。
自分を認めるって、
私にとっては、
簡単じゃない。
でも、もう、そこでぐるぐるするのはやめる。
茶番はやめて、楽しく生きる。
そう。
どう生きたいのか、という話。
これまでわたしは、
充実した人生を送りたい、
って思ってきたような。
でもそれは、
苦労も幸せも
同じくらいの量が必要で。
光があれば影があって。
それはそうなんだけど。
手放しに、「楽しい」を
味わえていなかったような気がする。
性格がまじめだとか
そんなこともあるんだけれど、
楽しいだけじゃダメなような。
苦労の先に幸せがあるような。
でも、ここにきて、
ようやく、「楽しむ」ことを
許せたように思う。
それでいいんだ、って。
楽しく、心地よく、生きる。
一回これでやってみよう。
そして、自分にとって
楽しい、と、心地よい、は
何なのか、どういうことなのか、
さらに深めてみよう。