五日目の今日を歩く
私が同じ日を五日も繰り返していると言ったら
誰が信じてくれるだろうか?
目が覚めて時計を見て日付けを見ると
昨日と同じ時刻に同じ天気予報が記されていて
ああ、また進まなかったかと眠い目をこすった
最初はもちろん焦ったし戸惑ったけど
今は別にこのままでもいいか、くらいな気持ちで
今朝もパンにジャムを塗って食べながら
違う味も買っておけばよかったと悔やむけど
それはもうすでに手遅れなのだ
同じ事を毎日も繰り返している周りの人に
話を合わせたりはぐらかしたり別行動をしてみたり
止まっていても私が行動を変えると変化もあって
時が止まってる世界の中でも時間は動いていた
なんとなく理由はわかっていた
多分未来を怖がっているからだ
来年の私が何をしているのか
考えてもじたばたしても全く想像が出来なくて
半年後は?来月だって来週だって何も見えない
変化のない毎日がずっと続くとしか思えない
だから時間が止まった所で何も変わらない
受験の前や就職活動をしていた頃とか
親や友達と喧嘩した次の日だとか
みんなの前で何かを発表する前の日はよく
明日なんか来なければいいのにと念じたっけ
ベランダに出て星もない夜空に向かって
宇宙人よ侵略するなら今だぞ!と光を探し
日々の生活を脅かすような大事件を願った
その時はしっかりと明日は来たのに
今になってこんな事態になるなんて皮肉だ
時間に取り残された私に対して
そのまま次の日へと進んだ私もいるのだろう
分岐した別の世界がきっと存在していて
明日へ行った私は呑気に映画でも見て
少なからず新しい何かを吸収している
だとしたらそれは私だけど私じゃない
もう全く同じでは無くなっているから
一緒になる事も同化する事も出来ないんだ
追いかけたって追いつけないから
この世界で明日を待つ事しか出来ないのだから
止まった時の中で未来に希望が持てた時
少しでも先の自分が想像出来た時に
おそらく明日はやって来る、はず
同じ日の繰り返しの中でも
見逃していた物や関わらなかった物避けてた物
見方を変えると新鮮な事も沢山あって
そんな新鮮さを探していたら
なんだこれ?なんだあれ?と
興味を持つ物も少なからず出て来て
今まで知らなかった物がもっと知りたくなって
自分の中へと取り込むと私の一部となる
そんな、止まった時の穴の中を
ゆっくりと徘徊するのも悪くない
だって時間はいくらでもあるのだから
ほら、いつもと違う服を着ただけで
周りの視線が昨日とは違っている