勉強中
私たちの一生というものは、
他人に出会う出会い方も、常に自分の思いをとおしてしか出会わない。
事実というものをみる見方も、いつも自分の思いにおいてしか事実をみない。
現実生活というものも、やはり常に自分の思いに立ってみる。
宮城顗
今日は朝からずっとPCの前でオンラインでの講演に参加している。
正直、これきついね😅
なれないし。
第一、YOUTUBEですらめったに見ないから、なんか辛い。
でも、ただひたすら、こちらの顔色をうかがうこと無く話す講師のお話を、周りに誰もいなくて聞くってのは、一切自分の意見も言えないし、疑問を持つことがあっったとしても、聞いているうちにその疑問も解消されたりもして、なかなか面白い。
本を読むと、「そんなもんか?」と疑問に思って読みすすめるうちに、「あぁ!これが言いたかったのか!」てことは当たり前にあるが、講演会や普段お会話だと、どうしてもその時の「ことば」に食いついてしまい、その裏やら横やらにある本意にまで気が付かないことがあるのだな、と、今更ながらだが確認させてもらっている。
「AはBとは違い、相反するのです」
(そうかなぁ?AとBが真逆であるとは、Aの反意語がBだとは決めつけられないのでは?)
なんてことがあったとして、その後きちっと聞いていくと、ある特定の状況における場合はそうであり、その講師はその特定状況を専門的に話していたのだと、AとBが相反することが言いたいのではなく、その特定状況というものをよりわかりやすくするため、また、その状況がいかに特例であるかを知らしめるための事例として、伏線として例に上げたのだな、と、そこまできづければいいが、時として、
「あ、講師、決めつけで話してんな」
で、着地してしまうことが儘ある気がする。
今日は、それは許してはくれない、いい意味で。
ひたすら聞いているし😅
さ、また学習ん戻ろ。
結局は、突き詰めれば、今このときも自分の思いにしか立てていないのだけど、一瞬でも自分の思いから抜け出すと、色々、見えるもんだな。
もう少し人の話を聞く時、わからず屋でいよう。
その場で簡単にわかった相手の思いは、自分の思いでしかないようだ。