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無いことにはするな。

幸福について考えることはすでに一つの、
恐らく最大の、
不幸の兆しであるといわれるかも知れない。
健全な胃をもっている者が
胃の存在を感じないように、
幸福である者は
幸福について考えないといわれるであろう。
         三木  清

幸福については
置いておいて
胃のたとえは
この年になるとよく分かる

ボクにも胃がある!
と気づいたのは何歳くらいからだろう。
ずっと
胃はなかった。

一回に3合のメシを炊いて
それを一回の食事で全て食べて
それでも足りなくて
ラーメンを食べに出る。
そんな学生時代だった。

中学生の頃までは
与えられていたので
いったい自分がどれだけの量を食べているのか
それが多いのか、少ないのかすらも分からなかった。

高校に上がると
学食があり
そこで毎日、食事をしていた。
昼食と言わないのは
2時間目の終わりに合わせて学食の
うどん・そばコーナが開店するので
二時間目の終わり
三時間目の終わり
四時間目の終わり(昼休み)
五時間目の終わり(ここで学食は閉まる)
と、ほぼ毎休憩時間にメシを食いに行っていた。
そして帰宅部のわたしは
友人たちと自転車置き場で
プロレスごっこや
トレーニングや
空手っぽいこと(空手やっているやつに教わって)
ひたすら遊び
帰れ!と言われてようやく帰路につく。
その帰り道で(いつも4人でチャリで帰っていた)
牛丼を食って
2人と別れて
その後時間と金がある時は
ラーメンを食って
家につくとちょうど夕飯がまっていた。
その頃に
あ!通常の人より多めに食べる方かもしれない!
と気づき出した。

大学に入ると
そこまで金の余裕もなく
(高校の頃の食費はどこから出てたんだ?)
芝居やら友達との付き合いやらで
そこまで食いまくれるほどの時間もなく
少しは落ち着いてきつつあった。
ただ一食で食べる量は多かったと思う。
「日本一」というラーメン屋があり
そこの売りはド根性ラーメンとど根性餃子というものだった。
ド根性ラーメンは
麺3玉・キャベツやもやしの具が山盛り・チャーシューというもの。
ド根性餃子は
1個が普通の餃子の一人前の量でそれが5個
わたしはその店が結構好きで
週イチくらいで通っていた
毎回、ド根性ラーメンとド根性餃子とライスの大盛り。
ちょうど八分目くらいだな、って感じだった。
ド根性ラーメンを30分で3人前食べれば
一生タダ、プラス、1万円という挑戦コーナーも有り
そこのオヤジに
「あんたなら絶対できるから挑戦しなよ、もったいないよ」
と、ずっと言われていた。
「やだね。オレはこのセットが好きなんだ!」と拒み続けていた。

そんなかんじだったので
「あ!ボクにも胃がある!」と気づいたのは
たぶん最近のことだと思う。
ま、最近と言っても10〜15年くらい前。

ここのところは
しょっちゅう
ボクの胃が
「ボクはここにいますよぉ〜」と主張してくる。
うるさい!主張すな!
と思うのだが
ちょっとなにかあると主張しやがる。

こんなにも目立ちたがりやの胃だったとは知らなんだ。

そういえば
新型コロナウィルスに罹患されて
辛い思いをされた方々も
また
いままさに辛い思いをしている方々も
肺を感じてらっしゃるのだろうな。

人間
どうも負の状態にならないと
そのものがあることに気づけないようだ。
鈍感なのだな。

体の不調だけではなく
差別や人権侵害もそうだ。
いじめやハラスメント被害やDVなども。

へいきで
差別なんて日本にはないよ

と、寝ぼけたこと言う
視えない・聞けない・言えない
胃のない系が多いったらありゃしない。

政治家でもそういうのはいる。
きっと胃もないし
脳もないし
情もないのだろう
そういう政治家は。

自分の周りで
自分が見たことがないから
それはないものだというのなら
脾臓・膵臓なんてほとんどの人がない。
殺人も戦争もほとんどの人にはないことになる。
そんな簡単な理屈すらわからないのが政治家をやっている。

部落差別
在日の外国籍の人々への差別
性的少数者(LGBTQ等)への差別
障害を持った方への差別
ハンセン病患者とその家族への差別
親が外国出身という方への差別
生まれが日本でないという方への差別
女性差別
貧困者への差別
職業差別
枚挙に暇がない。
こんなのはごく一部。

プラス
新型コロナウィルスに罹患した方とその家族への差別

これを否定する
「わたしの周りではそういう差別はないから
 それは妄想です。そんなのないです!」
と、いい大人が言う。
ましてや政治家と呼ばれる人間が言う。

あきれたものだ。

そいえば
国立アイヌ民族博物館などからなる
アイヌ文化の伝承施設「ウポポイ」が開園する際
萩生田光一文部科学大臣が
アイヌへの差別を否定する
なかったとするような発言をして問題になったよな。

また
感情的になってしまって
脱線しまくった😅
というか
出だしから脱線してたか
そもそも😆


何をきっかけにかはわからないが
在るものに気づかずに生きていて
それが「在る」と気づくことは
辛いことが多いし
面倒なことも儘あるが
人間として生きていく以上は
とても大切なことだと思う。

幸福であろうとすることは
たしかに今を不幸に思えねばならず
それはどこまでいっても
満足を得られない泥沼に落ちることでもある。
でも
実は幸福を望む前から
人間である以上
不満足の泥沼には嵌っているんだ。
そこにあることに気づくことで
満足ってなんだろ?
幸福ってなんだろ?
それが始まるきっかけになりうる。

ドブに落ちても
根のある奴は
いつかは 蓮の花と咲く

    「男はつらいよ」

華、咲かせましょ、自分なりの(*^^*)


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