絶対他力
ひとが自己を深く掘りさげれば、そこに結局みいだされるものは大いなる他者とでも表現するほかないものである。
神谷美恵子
今日は、朝から出ずっぱりで時間がなくなってしまったので、深くではなく浅く、上澄みだけをさ遇うように自己をサラッと見てみましょう。
朝起きて、青汁と薬とサプリメントをコップに入れた水で飲む。
自分で作ったものは一つもない。
家を出て車で寺へ向かう。
車も車を動かすガソリンも電力も自分では作っていない。
駐車場に車を停めて、石神井公園で写真を撮りまくる。
カメラも被写体も光も池の水も自分のものではないし、自分では作れない。
いつものことだが、寺で髭を剃り、歯を磨き、顔を洗い、髪を整える。
シェーバーも歯ブラシも歯磨き粉も整髪料も水も自分では作れない。
仕事のスタイル、つまり衣に着替え、カバンには袈裟や経本や数珠などなどが入っている。
何一つ自分では作れないし、自分のものではない。
また車に乗り込み仕事に出る。
法事を頼まれなければできないし。
で、走り回って無事帰宅。
事故も合わず、事故を起こさずに済んだ。
本当に上澄みだけだけど、深層でなく上澄みですら自己を作り上げる、自己の今を作り上げるものは、自分で何一つ用意できない。
自分で作ったサプリや自動車やカメラや着るもんだったら不安だろうなぁ・・・。
なんせわたしは半端でなく不器用で、綿密さもなく、大雑把だし。
サプリ飲んで体調崩して、自分でなんとか作れてしまった車がガッタンガッタンで運転しながら車酔い起こして、それでもなんとか石神井までたどり着き、気持ちを落ち着けようと写真を撮ろうとシャッターを切ろうとカメラを構えたがシャッターがどこにもないしレンズはポロッと落ちるしで体調にプラスして気持ちまで落ち、それでも仕事にはいかねばと着替えてみるが袖のがさも丈も短くてつんつるてんでカッコが着かず、涙に暮れながら車に乗って仕事へ向かうが、ハンドルが効かず、ブレーキも効かず、大事故を起こして、全身打撲、全身骨折で、残ったのは事故で巻き添えにしてしまった方への賠償だけ。。。なんて画が簡単に描ける。
わたしの生活は上澄みだけみただけでも、全ていただきもんでできている。
と、ここでは取り澄まして、いい子になって、解った風に言ってみる。
でも本音は、全部自分で、何から何まで己が用意し、己の意志で行動し、正解を導き出していると思っている。
そんな勘違いを「自力」っていうんだな。