朝は他力を教えてくれている。。。ようだ。
自分に対する幻想が打ち砕かれて、
ありのままの自分の姿を知るのが自覚です。
大峯 顯
久々に眠れなかった。
いや、寝たんだが、夜中に目が覚めてしまい、そこから明け方まで眠れなかった。
明け方、「あ、眠れそう!」と思って、数十分後に目覚ましに起こされた。
眠い。。。
何もしていないと寝落ちしそうだ。
別段、もう、寝落ちしてもいいのだが、夜ぐっすりと寝たいので、ここは堪えねば。
寝るとしても仮眠を15分くらいするに抑える。
目覚ましかけての昼寝も嫌だしなぁ。。。
ここ数年、目覚ましで起きることはめったに無い。
だいたい、目覚ましがなる前に目を覚まして、そろそろ鳴るな、と思っていると目覚ましが鳴り、そんでもって起床するというのが普段のあり方だ。
目覚ましなしで起きれるなんて、なんてしっかりしているのでしょう!
てわけでもない。
眠くなると、9時でも8時でも床に入っちゃう。
それでも、いつもより早く目が覚めること無く、普段どおりに目が覚める。
そういう時は10時間とか寝ている。
8時間の時もあれば、6時間のときもある。
でも、さすがに朝方まで眠れなかったり、夜中の2時、3時まで飲み歩いてしまっての翌日は目覚ましがないと起きれない。
だから、いくら目覚ましがなくても起きれるようになったと言えども、目覚ましは必要だ、万が一のときのために。
今朝はそうして、目覚ましによって目を覚まさせてもらえた。
まんまだな、目覚ましで目が覚める、気づく、生起する。
で、目覚ましなしで目が覚めた時、わたしは自分で目覚めたと思っている。
よく考えてみよう。
自分の意志で起きたことなんて一度たりともない。
そりゃ寝る前に、
「明日は5時起きだぁ〜」
と、言い聞かせて、5時前にきちっと起きた、なんてことは何回だってある。
でも、目が覚める際に、
「よし!目を覚まさねば!」なんて思って目覚めたことはない。
ただ、目覚めるだけだ。
そこには自分の意志は一切介在していない。
生活習慣だとか、気圧だとか、気温だとか、外的状況と体内時計と言われる細胞だかなんだかの働きが目を覚まさせている。
無意識のうちに目覚める。
これが、目覚めの核心だ。
目覚めには一切の自我がない。
自我のある目覚めはない。
本当の目覚めは意志がない。
「わかった」がない。
「わからない。。。」が外から教えられる時に、初めて「わかった」が成立する。
今日は目覚ましで目覚めた。
でも明日、目覚ましよりも前に目が覚めた時、わたしは何によって目が覚めたのかがわからない。
わからない力によって気付かされている、毎朝。
う〜ん。。。
目覚ましや誰かに起こされて目覚めるほうが、何もなく目が覚めるよりも悩ましくないのだな。