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今日も無理やりな「今日の言葉」とのガッタイ!すまん!以上!

姑息な「自尊心」が、外に外敵やら守護神を投影してるだけで、実体的にそんなものがあるわけではない。
そういうものを捏造する「自分自身」が一番怖いのだ。

           武田定光


先日、小中学でいっしょだった友人と大学時代の友人に再会した話を載せたが、今日は高校時代の友人に会えた。

ここに出てくるSNS上で35年ぶり再会した友人てのは大学時代の友人。

高校時代のその友人は、ま、久々という感じはしない。
卒業してからもちょくちょくちょくちょく会っているし、年に1〜2回はもう一人の友人と3人でお食事会をしている仲だ(ここ3年はできていないのだが)。

お食事会ですよお食事会、マジで。
ま、軽く酒も飲みますけど、基本お食事メイン!
酒が弱い人がいるというのもあるけど、食べるのが好きな3人なので、酒はノド潤す程度で十分。
ひたすら食う!
でも流石に、3年前頃に成ると、「食が細くなったよね」と話していたが。

10年くらい前だったら、焼き肉だと30人前・メシ4〜6杯・スープ3人前・サラダ2皿とプラスアルファ、くらいは食べれていた、余裕で。

さすがにもう無理だね。
だいたい、肉を食いに行こう!というよりも、どっちかというと、魚介系になってきているので、居酒屋系の色々と食べれる店をチョイスするようになってきている。

もちもち・・・もといもとい、と打とうとしたら「もちもち」になってしまった。
もちっちもっちち、てうまいよね。
けっこう好き。
最近食べてないな、ついUFOを買ってしまう。
こんど「モチッチ」も買っておこ。

で、ちゃんともといのもとい。

今日会った高校時代の友人はデカい。
わたしよかたてはほんのちょっと低くいが、ほぼ同じくらいで、幅は若干彼のほうがある。
そんな男だが、気は優しくて力持ちタイプだ。
も一人の友人もデカい。
うちらとやはりほぼ同じくらいで、やはり、気は優しくて力持ち。
たまたまデカい3人で仲が良くなっただけだが、二人とわたしとでは、高校時代の話ではあるが、どえらく違う。
二人は真面目で、成績もよく、運動も良くできた。
なんせ、今日会ったやつは中学時代だが卓球で都で3位かな?全国いくレベルだった。高校時代、利き手でない左手で相手をしてもらい、11点先取で勝負をし、10点のビハインドをもらいわたしは負けた!1点も入れられなかった。
もうひとりは、柔道で関東大会までいっている。
柔道の授業で相手をしてもらったが、組んだ瞬間「え?こいつ動かないんですけどぉ〜」となったのを覚えている。
プロレス少年だったわたしとしては、勝てないまでもそれなりに善戦できる自信が何処かにあったのだが、見事に鼻っ柱をへし折られた。ちなみに、柔道だったら、甲子園に行った野球部のやつにも、花園言行ったラグビー部のやつにも勝っている!
「反則だ!」と言われながらも、バックドロップやスリーパーホールドなどのプロレス技を繰り出して。

ま、そんな二人が仲良くなるのはよくわかるのだが、全く疑問の余地はないのだが、何しろ未だに二人で話をしているのを聞いていると、野球やゴルフやなんやかや話があっているし、そりゃ仲もよかろう、と思えるのだが、なぜにオレまで混ぜてくれたんだろ?と、別に思わないけど、こういうふうに改めて書いていると気付かされる。

だって、スポーツ観戦も好きでないから、野球の話をされてもちんぷんかんぷん、サッカーなんていよいよちんぷんかんぷん、ゴルフにいたっては何処が面白いんじゃ?って感じだし、全くついていけないし、ついていく気にもならない。
唯一語れそうなのはプロレスだけだが、二人は全くプロレスには興味がない。
これは高校時代からのズレだ。

ま、友情に成績なんて関係ない!ともいうが、けっこう成績に人柄ってもんも含まれていたりもする。
二人は、宿題もちゃんとやるし、授業もきちっと受けるし、試験勉強もちゃんとする。また順序立てて物事を進められる。起承転結が自分なりに、その通りに行く行かないは別として、計画立てられるタイプだ。
わたしはというと、宿題にしろ試験にしろ、切羽詰まらないとなんもしない、切羽詰まるとその場をどうやり過ごすかを考える、で、強引に突破した気に成る。

同じクラスになったことがあるが、二人はクラスでも、学年でもトップ集団にいつも位置していた。クラスだと50人中10位以内。学年だと700人中50位以内には入っていた。
自慢じゃないが、わたしは、3年間、下位グループの座を死守していた。
一度なんぞ、学年で下から10位に入ったんじゃね?ってときもあったくらいだ。
とにかく勉強も嫌いだったが、人からなにか命令されるのが嫌いだった。
過去形じゃないや、「嫌い」だ😅今もだし😅

ま、それでも、なんか仲良くなって、未だに仲がいいのだから、有り難いこっちゃ。

あ、別段この話にはオチはない。

だなぁ〜、ってだけの話。

さ、今日の話と無理にでも結びつけて終わろう。

高校はバリバリの神道の学校だった。
何かあると必ず明治神宮に行かされた。

で、社会、日本史の教師に神社の跡継ぎ、神主の資格を持つオヤジがいた。
そのオヤジが、何かっていうと「おい、このへん仏教ではどうなんだ?」とふってきた。
当然、当時のわたしにそんなもん答える度量も知識もなんもなく「知らねぇよ!」と悪態ぶるのがせいぜい。
オヤジはゲラゲラ笑って、「大学で勉強してこいよ」と言ってくれてたもんだ。
今から考えると相当気にかけてくれていたんだな、とありがたく思える。
うちの高校は、大学の付属校だったので、当時は殆どと言っていい人間がそのまま無試験で大学に進んでいた。
そんななか、わたしは当初から京都の宗門校に行きたい旨言いふらしていたので、それを知って気にかけていてくれたのだろう。

気づきをくれていたんだな。
何も分かっちゃない。
こんなことにすら答えられない自分、という。

ところが、こちとら、その大学に行くのは、親元はなれられ遊べるからって、スケベ根性だけしかないので、そんな先生の温情なんぞ届くはずもなく、何質問されたかも全く覚えておらず、今も思い出せるわけもなく、事象としてしか覚えてない。

ただ、今なら少しは話ができたかもな、とは思う。

と、同時に、当時の自分が、今のように頭でっかちで、知識と言えないような屁理屈を並べ立てるだけの自分でなくて良かったと思う。

守護神なんて言葉を出すと、直接「神道」と結びつけがちだが、そういうことでもない。

守護神は、自分が勝手に作り出す正義という妄想のことだ。
外敵はその勝手な妄想正義にとってはいてもらっては困る「悪」というこれまた妄想だ。

こいつは皆が持っている。

だからこそ互いの妄想正義と妄想正義の争いにならぬようにしなければならない。

なにかに対して、政治でも社会でも事件でも、そこに悪を、特に許しがたい悪を見つけたときこそ、おのが正義を注視し、そこから見える「自尊心」という影から目をそらすことなく、しっかりと自分の「悪」にうなだれることが大事だと思う。

以上(←河村名古屋市長の市役所職員への謝罪文流😂)

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(衝撃的だった、「以上」で終わる、めっちゃ上から目線の謝罪文。
 要約しますと「わるかったな!ご・め・ん・な! 以上!」)

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