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ざまあみろ、自業自得じゃ!はまちがい?

自己は内なる社会であり
社会は外なる自己である

       池田勇諦


今日の言葉は、自分でどうこうできるもんでもない、けど、だからといって、知らぬ存ぜぬもダメ、って感じかな。

間違っても「自己責任」ではない。

だいたい、自己責任てのは他者から、特に社会的立場の上位者から押し付けられるもんじゃない。

自業自得。

この言葉には、現在、必ず「ざまぁみろ!」ってコトバがもれなく付いてくるけど、本来はそういう意味ではない。

いまここにあるわたしは、全てなるように成ってここにある。
自分にとって、都合の良いことも悪いことも、全部ひっくるめてわたしをわたしたらしめている。
そんなわたしです、と言う言葉だ。

わたしの中にあるものは一切がわたしのものではなく、わたし自身もわたしのものではない。
わたし以外の事象、事物は一切がわたしと関係があり、わたしと繋がっていないものはない。

自業自得は他人のことじゃない。

自分事。

あ!思い出した!

この自分事ってコトバ、使いたくなく成ったんだった。
打ち込んでイラッとしてしまった。

一番他人事でしかない小池百合子が「自分事として」とかほざいてから・・・。

ほんと、

安全・安心
自分事
自己責任
自助
ニッポン
愛国心
日本文化
etc...

見るとイラつくコトバが、アヤツラが使ったがために、言われると、冗談じゃない!信じられねぇ!って思えるように成ったコトバが多いこと。

もとい。

わたしがここにあることは社会にとって大事。
社会で起きていることはわたしの大事。

すべての相互で関わることはできないが、ちょこっとでも心に引っかかったことは、少し時間を取って考えてみよう。

今日の引っ掛かり。

今のところは、さしてない。

それはそれで良いんじゃない。

あ!引っ掛かった!

「ざまあみろ」
「様を見ろ」
「有り様をみてみろ」

ざまあみろも本来の意味とえらく違う使われ方に変わったんだな。。。

そう考えると、
「自業自得、ざまあみろ」の並びは、案外間違いでもないのかもしれない。。。

と、あとからここについて考えてみよっと、暇だったら。

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