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書いていたら、笠智衆の「バタ〜」を思い出した。

人は「これはなんの意味があるのか」を常に問わずにおれない存在ですよね。
無意味の世界に生きることは出来ない。
だから生まれて自我を持つと、自分の存在意義を探す旅を始めるんです。

             瓜生崇


「かりそめ天国」という番組でジャムについて話をしていた。

で、それを聞いて、無性にジャムではなくピーナッツバター(正確に言うと、果糖のピーナッツペースト)が食べたくなった。
もちろん、ピーナッツバターが食べたいからって、スプーンで掬ってひと瓶食うわけではない。
パンに贅沢に塗りたくってガブッといきたい。

そこで、昨日、帰り際に近所のスーパーに寄ってピーナッツペースト(果糖)を見つけて買って帰った。
そこには、番組でジャム識者がBEST3でおすすめのジャム(アオハタまるごと果実白桃)もあったのでつでに買って帰った。

そしてパンを買って帰るのを忘れた。

朝、ただでさえカメラが入っていて荷物重いのに、プラス、ピーナッツペーストと白桃ジャムを詰めて家を出る。

昼に昼食用の弁当を買いがてら、パンを買う。
そのつもりで出たので、弁当は小さいものにした。
どうせ、食べたくなるのは解っている。
我慢できずに食べちゃう。
だって、家出る時にピーナッツペーストも白桃ジャムも持って出ているし。
そのきはあったのよ、きっと。

で、案の定、食べちゃった。
8切りの食パンにしとけば良いのに、6切りにしたのが間違いだった。
弁当を食べた後、ピーで1枚、ジャムで1枚食べてしまった。
いや、最初は1枚で済ますつもりだったのだが、先に半分をピー、残りの半分をジャムで食べたら、ピーが恋しくなり、ジャムも美味しかったし、で、結局もう1枚食べる羽目になってしまった。。。
腹がきついぜ、とどめの1まいが効いているのだろう。

で、ピーナッツペーストなんだが、以前勤めていた事務所のそばに豆菓子の専門店があり、そこでたまにピーナッツペースト(果糖)を買っていた。
千葉産の新豆が出ると、本日新豆で作りましたってのを売っていたので、けっこう楽しみに買っていた。

あそこの店もうなくなっていたなぁ、昨年、近くまで行った時に見に行ったけど。

そんなノスタルジーを思い出しながら一番良さげなものを買い込んでおいた。

で、食べると、風味も味もとても良い。
ただちょっとわたしには甘すぎだな。
そうか!無糖のピーナッツそのままペーストにしたやつも隣に売っていたから、あれを混ぜ込めばちょうどよくなるな!

へぇ〜、ここのピーナッツペーストいいじゃん。

なんて店のだ?

ん?「麻布川越屋」・・・。

これ、あこの店のじゃん!

名前を見た瞬間思い出した。
赤羽橋にある麻布で川越って😂
当時、そんな話をしていたのを思い出した。

ググってみると、販売店自体は新橋になっているが、会社そのものは当時の場所にある。

なんか、どうせならあそこのピーナッツペーストが食べたかったな、と思っていたので、ご機嫌だ。

今日もご機嫌だ\(^o^)/

これはなんとしても無糖のやつも手に入れにゃ!

そんな昼下がりを過ごしている。

一昨日も食いもんのことを書いているけど、その食物に対して、できの良し悪し、美味い不味いだけではないんだよね求めるのって。

そこに付随する思いでや事件、場所や時間、誰と食べるか、独りで食べるか、楽しい話をしながらか仕事の話をしながらか喧嘩しながらか、それで味も変わる、美味い不味いも変わる。

意味付けは味付け(食べる方の)にけっこう影響するな。

結局は、なんでも意味が付くか付かないかで、そのものの価値を変えてしまうのかも知れない。

ということは純粋にそのもを受け止めていないのだろうな。

ピーナッツペースト、うまかった、でいいんだけど、それに別に意味は求めていたわけではないはずだったのだけど、そこに「懐かしいあそこのピーナッツペースト」という意味が乗っかり、オレは石神井のスーパーでもネットでも買えるようになる前から知っていたし、もしかしたら本当に出来たてを食べているんだぜ、という意味が加わり、優越感という意味までも付け加えている。

だからなんだよ!ってつまらん意味付けなんだが、それがどうも大事なようだ、わたしにとっては。

なんせ、勝手に意味を探して意味を付けて喜んでいるのだし。

それが良い方に出たから良かった、っていうのがいまこの状況。

今日の件に関して言えば、意味が付かなきゃ付かないで、べつだん、「ふ〜ん」ってだけのことだが、時として意味が付かないと居ても立っても居られない、無意味に無理やり意味を付ける、つかない、意味がないと怒り散らす、そんな事があるのも確かだ。

人間だからそういうものなのだろうが、意味なく何かをするというのは困難なのだろうが、意味なく、損得も結果も何も求めずに、評価も求めずに、評価の良し悪しも気にせずに、何かをしているときを思い出すと、そこに、自分のことながら憧れる。

無意味に憧れ、無意味であるという意味付けをする愚かしさ。

ともかく、自分がピーナッツペースト問題で喜んでいる自分に対してとやかく言っているのだが、とやかく言ってくる自分はシカトだな、この件では。

だって、美味しくて満足して、意味付けてより良い気分いなれてんだし。

そんな時は、素直に喜ばせておいてくれよ、自分!


*注:最後の「自分」は関西の人が相手を呼ぶ時の「ジブン」ではないです。

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