大叔父らしい、どうも。。。納得いまだにでけん!
小さな自分という我の意識を破って広い世界に出て、真理の光に照らされよ。
如来の光に照らされよ。
如来の光に照らされているのが、本当の自己だ。
大峯 顯
正月2日。
甥っ子が子供を連れて来てくれた。
甥っ子の子供ってことは、まぁ、あっちから見たら大叔父ってやつにあたるわけだ。
自分の子供の子だとしたら爺ちゃんだ。
マジか。
と、毎回思い知らされる。
結婚もせず(できず)、好き勝手に生きている身としては、街場でおじさんと言われることさえ未だに「うるせぇ!」と思えてしまう。
爺さんなんてもってのほかだ。
「ジジイ!」とか言われたら、いい歳して、
「うっせぇ、うっせぇ!ば〜か!」
と、なりそうだ😅
でも、事実はジジイなんだな。
これは何歳からがジジーで、何歳からがオッサンで、何歳までがお兄さん、という問題でもない。
相手がどう思うかの問題だし、その人間から見える自分がジジイなら、それを受け入れるしか本当はないのだろう。
そういえば、むかし、三越劇場ってとこで一ヶ月公演ってのに参加したことがあるが、その時に、中学生が二人参加していた。
その二人に、当時25〜6才だったわたしは「おじさん」と言われて、
「うっせぇ〜、ガキ!」
と、やりあったことがるのを思い出した。
おもっきし、チュウボウ二人にからかわれて、もてあそばれていたな。
この時は見た目というより会話がついていけないのでおじさんと言われるキッカケだった。
「おまえらもやっぱ光GENJIのファンなのか?」
「えぇ〜!いまどき光GENJIとか言っているよ」
「うわ、古っ!もう光GENJIじゃないよね」
「SMAPだよね」
「ねぇ〜〜〜。」
「なんじゃ?そのなんちゃらマップてのは?」
「え!!!SMAP知らないの!!!!!」
「マジ!」
「おじさんだぁ〜〜〜」
って、感じだった。
まだSMAPがデビュー間もない頃。
香取くんなんてまだ小学生だったんじゃね?
ま、その頃からおじさんだった。
言っちゃえば、21で、姉に子供ができたんで、望んでもいないのにおじさんにはさせられていたが。
あ、その姉の子供が子供を連れて来てくれたわけだが。。。
そっかぁ〜、爺さんかぁ〜。
年下の友人にも孫ができても、
「オマエ、爺さんじゃん!」
「そっすよ。だからエグチさんも爺さんっすよ」
「ばか!言ってんじゃねぇよ。結婚もしてねぇのに、爺さんになるわけねぇだろ。こちとらずっとお兄さんなんだよ!」
なんて、必死になっていたが、結局、爺さんなんだな。
こういうことも何もかも、自分じゃ気づけないし、言えば自分じゃなれん。
親になるのは子供がいて。
叔父になるのも姪甥がいて。
周りがあって初めてわたしってもんは成り立つ。
そういうことだな。
今日の言葉、ちょっと宗教しているけど、ま、宗教ぽいことばが苦手な方は、そこは、「本当のこと」「気づきをくれる相手や事象」「周り」なんて言葉に置き換えて読んでみて。
わたしが作っているわたしという幻想が打ち破られていくのは、本当のわたしに気付いていくことなんだな。