思い通りの結果はない。
現代人は不快とともに暮らすことに慣れていない。
いますぐ結果と満足をほしがる。
人はもう待つ方法はおろか、待つことの意味さえ忘れてしまった。
ものごとはものごと自身の時間によって、おこるべくしておこっている。
エリザベス・キューブラ・ロス
今日は久々に、本降りの中の撮影散歩になった。
家を出る時は、軽い雨よりちょい多め、くらいだった。
それでも、雨合羽(ズボン・ジャケット)に写真用のポンチョ(これをかぶれば、首から下げたカメラもだが、背中に背負ったリュックが濡れずに済む)を着込んで、カメラにはもちろんレインカバーをして。
これで完璧のはずだった。
これくらいの雨なら。
長靴にしておけばよかった。。。
公園につく頃には本降り。
それでも気にならなかったのだが、後半、折り返しを過ぎてしばらくすると、足が冷たい、というか、ベチャベチャ感が気持ち悪い。
でも後半に桜は集中している。
ベチャキモと戦いながら、撮影に集中をするように心がける。
でもやっぱ、気になる。
舐めていたぜ。
ただ、あの長靴、すごく軽くて、フィットしていいんだが、履くのもだが脱ぐのがけっこう大変なんだよな。
それで、ついつい、面倒で長靴をパスしてしまいがち。
しかし、やっぱ、雨や雪の日は長靴もしっかり履くようにしよう。
備えあれば憂いなし、ってコトバがちょっとだけ身に沁みた朝。
でも、備えたら備えたで憂いちゃうんだよなぁ〜、わたしの場合。
せっかく長靴はいてきたのに!って。
いい例がスタッドレスタイヤだ。
昨年末に車を買い替え、今冬は寒くなり雪も多いかも、というので速攻でスタッドレスタイヤに変え、準備万端で雪を心待ちにした3ヶ月だった。
雪降んねぇ〜じゃん!!!
車の買い替えだけでもきつかったのに、それでもなんとか捻出してスタッドレスを履かせたのに!!!
備えて、おもいっきり憂いている春。
安心は買えないというが、買いたくなっちゃうし、買った以上は不安な状況にも一度くらいはなれ!じゃないとせっかく買った安心が役に立ったぁ〜!という喜びが得られない!
それは非常に損だ!
こんな卑しい思いが、備えあれば憂いなし、を脅かしているんだな。
でも、毎年のように、春の大雪があるじゃない。
去年も桜と雪の写真撮ってたじゃない。
それに、8〜9ヶ月もすればまた冬も来るし。
次の冬は、安心してむかえられるじゃない。
そんなふうに言われても納得できない。
辛抱が効かなくなるなぁ、だんだん。
辛抱と体力の関係だな。
体力が落ちてくると、どんどん辛抱が効かなくなる。
体幹と辛抱なのかもしれない。
ま、前頭葉の働きとなのかもだが、脳の働きは自分であまり感じられないので、やっぱ体力・体幹と精神力・辛抱の関係に感じるんだな。
現代人が不快とともに暮らすことができなく、辛抱が効かなくなってきているということは、全体的に体力が落ちているんじゃね?
と、まったく根拠のないことまで考えてしまった。
思い通りにしたいという根性が待つことをためらわせる。
思い通りになるという勘違いが結果主義に陥らせる。
けっか、思い通りにならないと許せなくなる。
でも、なるようになる世界では、思い通りなんてもんは一切ない。
たまたま、思い通りになったとしても、それはなるようになっただけであり、思いなんて関係ないね!と、「結果」は鼻で笑っているんだろうな毎回。
思い通りは虚構でしかない。
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