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兵戈無用
現在げんきで精神の世界に生きていると自負するひとも、もとをただせばやはり「単なる生命の一単位」にすぎなかったのであり、生命に育まれ、支えられて来たからこそ精神的な存在でもありえたのである。
神谷美恵子
もとはおんなじ「単なる生命の一単位」である者同士が優劣をつけて、勝っただ負けただで大騒ぎ。
上を下への大騒ぎ。
隣の芝生がうちよかあおいのは許せねぇ、と、大騒ぎ。
殺戮兵器を作って喜ぶ研究者。
それを使って殺戮して喜ぶ人間たち。
殺した気にならないように、どこの誰が死んだかも分からなければ罪悪感も希薄になるだろうと、ボタンひとつ押すだけで何十万人、何百万人を一瞬にしてぶち殺せる、老若男女、妊婦であろうが乳飲み子であろうが、なんの罪悪感を背負わずにぶち殺せる兵器を作って喜ぶ、作った人間をたたえて喜ぶ、その兵器を持つ人間にしっぽを振って自分も強いくなったつもりで喜ぶ、そんなのが腐るほどいる。
それを崇める奴らが、それにも増している。
無差別でミサイルで人をぶち殺す人間を崇め立てている人間が、電車の刺傷事件の犯人を「信じられない、なんてひどいことを!同じ人間と思えない」となじる。
ええ?あなたにもそういう人の痛みや死を悼む気持ちが存在するのですか?
そんな皮肉が頭をよぎる。
もとは「おんなじ単なる生命の一単位」、同じ人間。
自分の中にも必ず同じ素養がある。
優しい自分もあれば、非道な自分もちゃんとある。
アドルフ・ヒットラーも自らの家族にはとても優しく、とても信頼された、夫であり父であったという。
アウシュビッツ強制収容所の所長ルドルフ・ヘスもホロコーストの責任者アドルフ・アイヒマンも、どこにでもいる普通の父であり男であったという。
誰か変わった人間が残虐に成るのではない。
人間には残虐性がもれなく必ず具わっているのだろう。
ゴキブリ殺すでしょ?
ネズミ殺すでしょ?
蝉しぐれがわたしにひっきりなしに訴えかけてくる。
オマエも縁さえ整えば「核爆弾」のスイッチを笑顔で押せる、そんな奴、人間さ。
核爆弾をはじめ、戦争を起こせる兵器を廃絶しない限り、無差別殺人はなく成らない。
武器を持てば必ずそこに恐怖がもれなく付いてくる。
その恐怖が「絶対に使わない」と心に決めていたはずの武器を手にさせる。
恐怖は幻想を観させる。
武器が、兵器がある限り、戦争はやまない。
恐怖に覆い尽くされた闇の世界に朝がくることはない。
いま、近々にできる第一歩は、「核兵器禁止条約」に参加することだと思う。
個人会員、作ってくんねぇかなぁ、年会費少しくらいとってもいいからさぁ。
ちょいと国連さん考えてみてくんなまし。