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見るべきものを見ず、見てはならないものを見てしまう。
私たちは物を見ているようで見ていない。世の中の矛盾・不正・歪みに目を閉ざしています。張り裂ける叫びに耳を塞ぎます。
そういう命に対する基本的な感覚が失われているあり方が「闕陋(けつる)」の問題なのではないでしょうか。
ものを見たり、考えたり、話したり、感じたりすることまでもが「闕陋(けつる)」されているのが私たちの現在です。
尾畑文正
*闕陋・・・「闕」は機能のいずれかが欠けていたり、除かれたり、傷つけられたりすること。「陋」は粗末にされたり軽んずること。
たまに行くスーパーがある。
そこには、これが欲しい(食材)というものがある時に足を向ける。
そこに行かないでも近くのスーパーでも売っている、メーカーや味や好みを気にしなければ。
青のり、餃子の皮、乾物系。
で、そこに行くときは自らに言い聞かせる。
必要なもの以外は買ってはだめ!と。
あそこの棚は前を通っても見てはだめ!と。
前回行った時はその棚をうかつにも見てしまった。
それも一番見てはいけない箇所を。
しかし、見てならないものがその時は無かった。
危なかった。
そして、数日前、またそこへ行ってきた。
買うもの、必要なものをiPhoneに打ち込んで、それを見ながら買い物を済ます。
全て、完璧に揃い、ご機嫌に帰りましょ。
気を抜いていた。
出口に向かいながら何の気無しに棚の見てならない箇所に目がいってしまった。
今回はそれがあった。
思わず手が伸びる。
手に取る。
レジに向かう。
満面の笑みで再度出口に向かう。
帰る。。。
最後の一個というのが余計に我慢を妨げた。
これが大量にあれば、
「会計も済ましたし、どうしてもほしければいっぱいあるし買いに来ればいいや」
で済んだのだが、前回は売り切れであるのを目にしていて、今回は最後の一個。
そうなると、今買わないと!、という強迫観念に襲われたのかもしれない。
こいつは危険物なんだ。
それはいままで何回も思い知らされてきたじゃないか。
だからあそこは見てはならないと言い聞かせていたのに。
だめな男だぜ、デへヘヘヘ😝😝😝
大好きな揚げ煎餅。
餅を細かく切って、天日乾燥させて、揚げたもの。
大好き。
で、ここのは、油がまともなものを使っているので胃がもたれない。
いっぺんでいっぱい食べられちゃう。
やばい、止まらない煎餅。
それでも大人になったわたしは、数年前までは一回で全て食べてしまったところを、数日に分けて食べるようには成っている。
どん兵衛は大きさ比較用。
ちなみに、冷やしぶっかけどん兵衛、やっぱ普通のどん兵衛のほうがオレは好きだな。
で、このかき餅せんべえ、3日でここまでで抑えている。
この写真を撮って、即効で目のつかないところに仕舞った。
やばいからね、目に入ると、食べちゃうし。
見ちゃいけないもの、聞いちゃいけないことは、見たり聞いたりしていらんことを言ってしまう。
肝心な、見なくてはいけないこと、耳を澄ませるべきことは、見ているつもりでも、聞いているつもりでも、見ていない聞いていない。
せめてそういう状態にあることは認識しておかねば。
でもさ、見てはならないものを見ちゃうんだなぁ〜。
見つけなきゃいいのに、見つけちゃうんだよなぁ〜。
だから、なるべく普段から、「こういうの興味がないな」とか、「これ嫌いだな」というものを敢えて気にするようにしている、政治や政治家のことなんかは特に。
興味ないていうのは、嫌いというのは、気になって興味があるの裏返しだぞ、って言い聞かせて、マインドをコントロールできればと要らぬ努力をしてみたりしている。
で、見たくもない大嫌いな奴のどムカつく発言がお陰さまで目に付き耳につく日々だ😅
身体にも精神面にもよろしくなさそうだけど、ま、それでくだらない愚痴も垂れ流せるので、ストレスとストレス放出とプラスマイナスゼロってことでいいかな。
そして、プラスがすぎる時は、煎餅とアイスで調和を取るのさ😝
てことわだ、この危険煎餅をGETしたことは結果オーライってことだな。