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アリバイ探し。

人間はひとりひとりがそれぞれじぶんの時間をもっている。
そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。

      ミヒャエル・エンデ


未来を生き?

過去を生きる?

今を生きる?

何処に今自分がある?

今を感じた刹那、感じた「今」はすでに過去になっている。

見ていた未来もやがて過去に成る。

過去も未来も今がないと成り立たない。

そんな中で三世(過去・現在・未来)を生きているのが人間て存在だ。

何処か一箇所に生きていると夢想した瞬間、未来しか見てないと、過去しか見ていないと、今を見ていると思い違いしていると、どこにも所在がなくなる。

時間軸の中で自分を見つめると、自分は所在がなくなる。

自分という概念、時間という概念を取り払ったところに自分は在る。

わたしのアリバイをわたしは証明することができない。

わたしのアリバイを、わたしの存在の証明をしてくれるものは、理屈・理由・理念ではない。
突き抜けたもの。

時間と空間が関与しないところにわたしのアリバイが在る。

だからさ、あまり時間に追い回されんなよ、と、自分に言い聞かせてみる。
生き急いでんだか、死に急いでんだかしれないけど、一分一秒でオロつくなよ、と。

今日も、あきる野の方での仕事を終えて帰ろう車に乗り込んだ時に、
「気をつけてお帰りください」
と、先方の人が声をかけてくれた。
「はい。捕まらないように気をつけます😁」
と、当たり前のように答えている自分がいる。
一分でも一秒でも早く帰ろうとしている、つまりはスピード違反で捕まらないように気をつけます、そんなふうに応答する自分にアチャ〜!

時には立ち止まって、自分を見つめる時間をとってみなよ。
そんなふうに人に言いながら、自分に言い聞かせている。

立ち止まること、休憩を取ること、そういう時間を無駄だと思いがちな自分がいる。

そのくせ、無駄に怠けているのは気にしていない。

なんだか、時間に縛られているのか、時間においてけぼり食っているのか。
無駄な時間を過ごしているのか、無駄に急いで過ごしているのか、まったく分からん。

アリバイ探しをしているのだとは思う。

アリバイ探しはとうぶん続きそうだ。

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