気づいても直せんのですよ。
普段生活しているときは、別に自分が救われる必要があるとは思っていないでしょう。
別に救われなくても自分の人生を生きていけるんだって。
でも私を救うというはたらきが届いた時に、初めて私は救われたかったんだと気づくんです。
瓜生崇
以前は、一日中、パソコンを前にして机に向かっている、そんな生活があった。
ちょうど加齢に突入しようって、中年期ど真ん中の10年間。
それまでは、けっこう、アクティブとは言わないが、ジッとしていられない感じで生きていた。
なんか、わかんねぇけどモヤモヤ苛つくな。。。
そんな時は、走りに行って、スクワットして、腹筋して、腕立て伏せして、体幹用のローラーやって、なんやかやと2〜3時間トレーニングを無意味にするのが、何よりものストレス発散、爽快になれる、そんな生活だった。
そんな時は、朝起きて、寺に来て、なんも今日はない、と聞くと、出掛ける許可をもらい、車に乗り込む。
関越に乗って、新潟まで行って、寺泊を回って、途中で日本海の夕焼けを見て、帰ってくる。
それが何よりものストレス発散、落ち着いた気分になれる、そんな生活だった。
それが、ある日から10年間、机の前で事務をするという、用があろうが、いや、無いときのほうがひたすら机の前にいる。
で、することがないので、パソコンをいじる。
ずっとそんな感じの生活になった。
人間、面白いもので、あっという間に環境に慣れてしまう。
タイミングも良かったようだ。
ちょうど体力が落ちかかってくる年齢だったので、だら〜とするのもいいな、から、だら〜としてるのがいいな、にすぐ変わった。
体力にはそれなりにだけど、自信があったので、座ってパソコンいじっているなんて、なんて楽なんでしょう、と、舐めていた。
それがよろしくなかった。(おおげさ😅)
ある日、いきなり腰痛というより、腰がとてつもなく重く感じた。
ヤバいな、腰、痛める前兆だ。。。
そんな危惧を持ち、焦って、帰りに整体に飛び込んだ。
もちろん、その前にネットで帰路途中にある良さげなところと、おすすめの整体師さんを探して、予約を入れてだ。
そこは抜かりはなかった。
そして、大袈裟かな?と思いながらも、贅沢に120分のフルの整体コースをで施術してもらった。
腰を中心的に!
と、お願いした。
全体を軽く触る。
軽く押しているようだ。
で、本格的な施術がはじまる。
で、結論を言っちゃうと、腰中心にと言ったのに、腰でもなく、若い頃から凝り性の肩でもなく、ひたすら背中を弄られた。
なんか知んねぇけど、背中はそんなに凝ってないし。現に、弄っているのはわかるけど、ぜんぜん触られているだけで気持ち良い感じがしないし、こいつ、いいかげんにしろよ!
終わったら、きっちしモンク言ってやる!
そんな感じだった。
で。終わる直前、全身に一気に血が通ったような、ゾクッ!というか、とてつもない呪縛からの開放感を感じた。
あ!やっと、こやつはツボを見つけられたようだな。
でもオセ〜よ!
施術終了。
「最後、一瞬だけですが、気持ちよくなかったですか?」
「だね。それまではなんともなかった」(ちょっと、嫌味っぽく)
「ですよね。鉄板ですよ、背中」
「鉄板?」
「ずっと、肘で、全体重載せて押していたんですよ、グリグリ」
「???」
「最初、指で押したけど、まったく入らなくて、肘でやってもお客さんいたがるどころか、全く反応ないし、肘も入らないし」
「???」
「で、全体、肘でずっと慣らしてました。さいごにようやく柔らかくなってきて、肘がツボに届いた、って感じでした」
「マジ?」
「なんか、スポーツ系か体を使うお仕事ですか?」
「いや、事務職」
「あぶないですよ、ここまで血行悪くなっていると。腰も肩も、この背中の鉄板状態からきているところが大きいと思います。最初触ってそう思ったので、背中を集中的にやらせてもらいました」
そう言えば腰のだるさがかんわされている、相当。
「あらま。腰楽になってるね、たしかに」
「できれば2〜3日通ってもらいたいくらいです。1時間コースで充分ですし。他のお店でもいいですから、背中を中心に、30分でもいいから、何日か通ったほうがいいですよ。」
「はい。。。ありがとうございます」
こんなかんじだった。
まったく気が付かなかったが、とんでもない状態になっていたようだった、その時は。
それで、言われたとおり、事務所からの帰りに、2日間そこに通った。
それでわかったのだが、わたしの場合は、腰に来た時は、すでに背中も肩も限界直前になっている、当時はそんな体質だったようだ。
おかげで、なんやかやと、事務職やっている頃は、疲れを感じたり、たまたま時間があったりすると、整体や足つぼマッサージなどに行くようになった。
シャワーばっかだったのを、入浴するように成り、スパにも通うようになった。
昔、これは都市伝説のようなものだろうが、欧米の人が日本に来て、整体に行くと、肩こりというものを思い知らされて、もうマッサージなしでは過ごせなくなる。なぜなら、欧米では肩こりという認識がなく、日本人よりも筋肉質な欧米の人々は、肩が凝っている状態が当り前で生きてきたので、そこで、肩のこりをほぐされた瞬間、自分の肩こりを知ってしまう、という話を聞いたことがある。
オレも、欧米か!
そんなくだらないことを当時感じていたような記憶もある。
自分を知らせてくれるもに出会って、はじめて、自分に遇える。
自分では解らないもんだな。
でも、このマッサージ話は、いや〜助かったぁ、ってその場で感じられるからいいんだけどさ、救われ難い自分とか、自分の欠点とか、愚かしさとか、間抜けさとか、なんか勝手に知られたらまずいと決めつけているようなものに気付かされると、せっかくの自分を知る、解き放たれるチャンスなのに、反発して、拒否して、否定して、受け付けられないわたしがいるんだよねぇ。
もう少し素直になれたら。
というか、ビビリでなくなれればなと思う今日このごろ。
肩凝ってんなぁ。
でも、まだ、腰にはきてないから、大丈夫だろ。
そんな話を、昨日、友人にしたら、腰に来てからじゃ遅いって教えてもらったんだろ?バカじゃね😁、と突っ込まれた。
う〜ん。
どうも、痛い目にあっても成長できないようだ、わたしゃ。