無知ゆえの光明
自身の若さをもって老人を蔑み、健康をもって病人を遠ざけ、この世での延命をもって死人を忌み嫌う。
そのように、若さを誇り、健康を誇り、生きていることを誇っている。
必ずや老・病・死に帰していくにもかかわらず、それらを誇っている。
小川一乘
興味がないというのは本当にすごいなと思う。
笑えるくらい、興味がないと、聞けない、見えない。
見聞きすることで、いままでまったく興味のなかったものへ興味のスイッチが入ることもあるが、基本はなんらかのきっかけがないとそうはなれないのが自分だ。
この二種類の花、「カリガネソウ」と「ツユクサ」、つい最近まで、区別がつかなかった。
というか、道端に咲いている小さな青系の花はみんな一緒に見えたんで、なんの疑問もなく同じ花だと思っていた。
どこからどう観ても別物でしょ😅
でも、一切花に興味のなかったわたしにとっては、どうでもいいことで、青っぽい、なんか花びらの上だったか下だったかに雌しべ雄しべが飛び出ている花。
毎年この季節に成ると、「あれ?あの花まだ咲いてねぇのかな?」(咲いている、群生している箇所が公園内でも違うし、時期がずれてる)、と、気にはしていた。
なんせ、この時期、緑一色で撮るものがあまりにも少ないから、なんでもいいから被写体が欲しくて欲しくて。
水鳥も、暑さにうだって元気ないし😅
で、6月にツユクサを見つけて、「いたいた」となり、8月に入る頃「カリガネソウ」を見つけて、「あ!ここにも咲きだしてんじゃん」と、なんの疑問もなく同じ花だと決め込んで写真を撮っていた。
一旦、同じだと思うと、なかなかその錯覚からは抜け出せないのも面白いものだ。
人間の決込み思い込みってもんは、簡単に虚偽を作り上げる。嘘を付く。自らをも騙す。
で、数年前、「あれ?今日、狙って撮ってきた写真、なんか、思っていたのと違うぞ?なんていうか表情、狙った箇所の形、全体の雰囲気。。。???」となり、前に「これをこう狙おう!」と思いついたときの写真を見直してみると、まったく違う花であることにようやく気づいたって次第。
「え。え〜!違うって!、オレが欲しかったのは雄しべだか雌しべだかが下じゃなくて上にぴょ〜んって出てるやつだし!これ、下にアイ〜ンじゃん!」
それくらい何も見えていない。
百日紅(サルスベリ)に花が咲くなんてことも最近気づいた。
木があるのも知ってるし、なんか、どこかでピンクの花が咲いてたのも目にした覚えはあったが、百日紅の木とピンクの花が結びついていなかった。
で、なんかそのピンクの花を、練習というか、「さ、これから写真を撮るぞ〜!」スイッチを入れるためになんの気無しに撮ってみて、
「なんじゃこの花!なんなんだピンクのキクラゲみたいなこの花は!まったく画にできん。どこをどう撮れば画になる?接写。。。違う。離れてみて。。。面白くもなんともない。。。難しい。。。。なんの花だ!」
と、花が咲いている枝をたどって幹まで目をやると、幹には「百日紅(サルスベリ)」の文字が書かれている札が巻きつけてある。
観たことのあるすべすべっぽい幹肌。
「サルスベリじゃん、この木!」
だから、「百日紅(サルスベリ)」って札貼ってあんだろ!、と誰かに突っ込まれるような思いもしないでもない。
チューリップやバラやヒマワリや梅や桜くらいはしっていたけど、基本なんも知らなかった。
いまでも殆ど知らないけど😅
でも、
「あれ?この花、なんかいい感じだな!」
パシャリ。
「なんて花かな?」
くらいの興味が湧くようにはなった。
知らなさの面白さもある。
「え、え〜〜〜!これが、あの花なの!」
なんて、しょっちゅうだ。
自慢じゃないが、「コブシの花」すら知らなかったんだぜ!
「これがコブシかぁ!」
だった。
ただ、これはさすがに写真を撮りはじめて最初の春に知ったけど。
あとは、
「な、なんだって!キンポウゲ!キンポウゲって花だったんか!花の名前だったんか!ようやく30年来の謎が解けたぜ!」
と、なったこともある。
甲斐バンドの初期の曲に「きんぽうげ」という曲がある。
好きな曲だ。
で、そのタイトルの意味がまったくわからんかった。
歌詞にはまったく「キンポウゲ」が出てこない。
なんか、特別なものなのか?
ずっと疑問のまま、そのまま意識の奥にしまわれていた。
ネットなんてない時代の話だから、そうとうやる気出さなきゃ調べようもない。
ゆえにほったらかしていた。
ある日、適当に野花を撮っていて、面白いなこの花、と思い、ネットで調べたら「キンポウゲ」だった。
すごく嬉しかったのを覚えている。
こんなすごいこと誰も知らねぇんじゃねぇか?
それくらい大発見をした気になっていた。
「オマエ、甲斐バンドのきんぽうげって知ってるだろ?」
「あぁ、えぐっちゃん、むかしよくカラオケで唄ってたよな」
「そうそう!あれってな、花の名前だったって知ってた?きんぽうげって花!」
「ああ、よく見かけるよな」
「・・・・・・。そうそう、あれよあれ。あの、ほら、おれ、最近写真やってんじゃん。でね、ちょっといい感じで撮れたからね」(必死。なんだと、こんな無粋なやつでも知ってたのか😭)
「お!ホントだ、いい感じじゃんけっこう」
「だろ」
そんな感じ。
それくらい舞い上がっちゃうくらい、喜んでたりもした、あの時は。
知らないで知る、ってのは、ほんとに面白いな。
結局、こちら側に聞く耳があるか、真っ白の状態で何にでも臨めるか、ってのが大事なのかもしれない、何事も。
どんなにいい話でも、二度三度聴いているうちに、慣れちゃって、分かった気になってしまう。
人は死ぬ。
当たり前に知った気になっているけど、いざ死と直面した時に当たり前とは受け入れられない。
そりゃ生きてりゃ病気にもなるさ😁とうそぶいていても、いざ、病に掛かればあたふた。
年相応がいいんだから、変に若ぶるような無様な真似はしない、と意固地になろうが、少しでも若く見せたい気持ちや、若さを保ちたい、一日でも長く自分の足で歩きたい走りたい、年寄り扱いされたくない、呆けたくはない、と必死に若さに執着する。
知ってはいるけれど、まったく分かっちゃいない、聞けてないんだな。
当たり前の言葉にも感動できるようにいまさらなれないとは思う。
でも、わたしが知っていることなんて、ほんの微々たるものでしかない、誰でも。
なんでも知ってるんだろうなと思えるような方が参列した法事に呼ばれ、読経前にいつものように「焼香」の作法を説明した。
そのなんでも知っているような方は食い入るように観て、終えたあとに「なんでそうなっているのか」と嬉しそうに楽しそうに興味津々に聞いてきた。
「いやぁ、ありがとうございます。わたしは、自分の専門以外のことは何も知らないんで、ついついなんでも興味持っちゃって、アレヤコレヤ質問しちゃうんです。家族には、いい加減にしなさい、って叱られるんです」と笑ってらした。
いいなぁ、その好奇心、と思ったのを思い出す。
知らないことが多いってことは、それだけ感動も多いってことなんだ。
しょせん人間はなんでも知りたいし、意味づけしたいし、無駄をなくしたくてならない。
それなら、素直に、相手が老若男女年高年少問わず、教えてもらえるチャンスが有れば、教えてもらうようにしたいとは思う。
でも、その、素直さがないんだよなぁ。。。
人嫌いだから、話しかけて聞くのって、めちゃハードル高いんだよなぁ〜。
がんばろ😅
「きんぽうげ」 甲斐バンド