疑問の答えは新たな疑問。
人は誰もひとたび自分の人生に疑問を抱いたら、疑問を抱かなかったころの自分に帰ることはできません。
ふと心に起こった自分の人生に対する疑問をなくすことはできません。
尾畑文正
第4波が来ていると騒いでいるが、わたしの中では一年間ずっと変わらない、平衡状態だ。
というか、いっときたりとも安心できる状態にはなっていない。
だって、未だに特効薬はおろか本当に信用できるワクチンもできていないといのもあるが、 この一年、政府も東京都も自制しろ、自助努力でなんとかしろというだけで、なんもしていないに等しいでしょ。
オリンピックを蹴ることすらもできない。
万博に出す金はない、の一言も言えない。
医療機関への負担は増え、自営業者への負担と風当たりも増え、そうした方々の協力(営業自粛なども含めて)があっても感染者が減らなければ、「危機感がない」ようなことを見下して言うような人間が都知事をやっているし。
なんも変わっていないよね一年前と。
第4波とか騒いでも意味ない。
このなんかスッキリとしない状態があと1〜2年は続くので、その中で、なんとかこの生活になれるのではなく、こんな時でも、こんな時こそ、その只中で気づきを得て、怒りでも悲しみでもいい、それを糧にというか、それさえも面白い生活の一部にして生きるしかないと思う。
厚労省の人間が宴会やって叩かれているが、なんかしっくりしない。
こいつら本当にもの考えられないバカだな、とは思う、正直。
でも今の官僚なんてそんなのばっかだろ、だって、自分の意見をもつことを一番禁じられている仕事だし。
それは総務省だろうが財務省だろうがいっしょだろ。
みんな同じ意見しか持っていないようだし。
上が右と言えば左だろうが右、上が白といえば黒くても白、そんなんでしょ。
だから、上がやろうぜ!ってノリで言えば、みんな素直に、何ら疑問もなく乗る。
国民も同じ感じだな。
マスコミが厚労省けしからん、と騒いだら、一緒になって騷ぐだけだ。
「そういやぁ、厚労省叩く前に、キャバクラ行った議員叩く前に、首相と首相の親分の二階とが密なお食事会やりやがったよな。厚労省はいいから、アイツラをどうにかしろ!」
とはならないようだ。
どう考えても、どう見ても、いま日本の中で一番現状を舐めて、危機感まったくなく、問題意識がないの政府と政府与党の議員じゃね?
そんなふうに思えてならない。
23人で宴会したのけしからん、というのなら、聖火リレーで、先頭きってノーマスクで集団で走っていた五輪スポンサーの連中もなんとかしなよ。
酔って大声で叫ぶのも、走って荒い息を撒き散らすのも同じでしょ。
ウィルスは夜行性ではないし、昼間も活発に蠢いているし。
なんかさ、いちいち最近引っかかるんだよね。
もう少し引っかかるのを言うとさ、差別問題ね。
日本の差別問題の報道とそれに踊らされた人権意識ってさ、流行り廃りでしかないんじゃない?
いまはジェンダー、その前はちょっとBlack Lives Matter(BLM)、その前はLGBTQ・・・。
日本には、古来より現在まで差別が間違いなくある。
日本人は差別を非常に起こしやすいDNAがある。
部落差別・ハンセン病差別・朝鮮半島出身者への差別などなど。
くされた差別国家であることを恥じましょう、って見地には立とうとしない。
女性への差別を問題にするのがいまは流行っているようだから、それを報道すれば受けが良さそうだから、それだけでしかないように見える。
その差別の根っこにある日本人が持つ差別意識の構造を探っていかなければ、少ししてジェンダー問題に飽きてきたら、当り前にもとの社会に戻るだけでしょ。
なにか問題になるような差別事象が起きた際、それそ素早く対処するのはいいが、ただその当事者を叩くだけではなんの解決にもならない。
そこから何を学ぶかだと思う。
女性蔑視が日本人のDNA、それも特に50以上の日本人には色濃くあるようだ。
でもそれは、女性や性的少数者へ対してだけなのか?
実際に表に出ている人間だけなのか、差別意識があるのは?
いま、日本では大雑把にみてもこれこれこれだけの差別があります。さて、あなたの中には、そうした差別意識はないでしょうか?
差別している人間には差別しているという意識はないものです。
当り前の事を言っている。正義のために行動している。
そんな意識が差別を生んでいる。
それどころか、日本における在日外国人や生活困窮者、最近ではコロナ罹患者やその家族への差別をしているような人は、本気で自分が被害者だと思っている人が多数だ。
わたしがいまさらっと思いついただけでも、せめてこれくらいは報道であり、会社であり、学校であり、そうした公の場で語り合っていく必要があると思える。
自分自身がそうなのだが、あまりにも一方向からの見方しかできないでいるのがいまの日本の有り様に思える。
問題意識を持つことは大事だ。
ただ正解を出すことに走らず、その問題が問うてくる新たな問題をに目を向け、そこからまた、と問い続けるしかない。
一つの問は、答えをもたらすのではなく、新たな疑問をもたらす。
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