許す前にあるものすらない。
許せないという気もちは人を固着させる。
傷を抱えこんだままの状態と馴れあいすぎて、大決心をしなければ許すことができなくなる。
人間関係を修復するよりは相手を攻めたほうが楽になる。
相手の過ちだけをみているあいだは、自分自身の内面をみつめる必要がないからだ。
相手を許したとき、はじめて人生に力がよみがえり、傷を乗りこえて花ひらくことができるようになる。
エリザベス・キューブラー・ロス
いきなり許せというわけではない。
自分の怒りに縛りこまれて、許せないという気もちに縛りこまれて、自分自身の大事な生活までもが無駄になってしまうようなことがないように生きろ、という言葉だ。
許しの前には必ず怒り、憎しみ、妬み、嫉みがある。
そのつどつど許していくしかない。
一個許しても、すぐに次の許されざる対象が現れてくる。
それによって、悲しいかな人間の文化文明は発展している。
人間という生き物は、それによって歩めるというところが大きい。
人間が競争というものを知ってしまった時から、人間は隣の芝生を青く見る目を宿してしまった。
やられたらやり返す、倍返しだ!
で、スッキリする。
倍返しをされた人間を観て、ザマァ見ろ!と溜飲を下げる。
おぞましい?
いや、誇張はしているかもしれないが、多かれ少なかれわたしにも内存している根性だ。
てっめたっちゃ人間じゃねぇ。たたっ斬ってやる!(by破れ傘刀舟)
この紋所が眼に入らぬかぁ〜!で、ははぁ、とひれ伏す(by水戸黄門)
成敗!(by暴れん坊将軍)
とまぁ〜、勧善懲悪が大好きだ。
許さないのが大好き。
でもね、許せねぇ!、だけでは本当に辛いと思う。
そして、わたしみたいなのほほんと生きている輩は、しゃ〜ね〜な、で簡単に許せちゃう。
つまりその程度の怒りしか、その程度の悲しみしか持っていないってことだ。
本当に悲しく、悔しく、いまこの時も涙をしている人に、「許しが〜〜〜」なんて言えない。
でもそういう人にこそ、一日も早く救われた、自身の人生を自分自身のために生きる生活を送ってもらいたい、そんなふうに思うのもウソではない。
多くの人と触れ合わせていただいている。
その中には、怒り、悲しみ、その都度やりきれない思いで悩み、許す、そして、歩みだす、そういう方が多くいる。
許すときのエネルギーと奮い立たす勇気は本当にすごい。
でも、そういう人って魅力的だよ、人間として。
怒りの表情でさえどこかに憂いも優しさもあるんだよ。
さっきも書いたように、そこまでの怒りも悲しみもないわたしには真似すらもできない。
すべてを許せとは思わない。
譲れない一手はみなあると思う。
でもね、たとえ全て許せないと思っていても、許すことをどこか片隅でいいので持っていて欲しい。
それだけでも、許そうと思い悩む、それでも許せない自分を悩む、それだけでもその人の生活はより意味が深いものになると思う。
で、いま、自分に問う。
じゃぁ、逆に、お前は一生を通して許すことのない何かというものはあるか?
本気で怒れる物があるのか?
それさえもない。
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