無条件降伏の記念日だ。
けれど時間とは、生きるということ、そのものなのです。
そして人のいのちは心を住みかとしているのです。
人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです。
ミヒャエル・エンデ(『モモ』より)
76年前の今日、日本は第二次世界大戦で敗北した。
負けた。
それを未だに認められていない。
だから、未だに、戦争に対して懺悔できていない。
後悔しかしていない。
「国を挙げて、あんなことをして失敗したなぁ〜」
ってのがせぜいだ。
反省にも至っていない後悔だけしかないのではないか?と、いよいよ思えるようになってきた。
つまり、ひどくなってきている、悪気が一切なくなりつつ在る。
「もう少しうまくやれば勝てたのになぁ〜」
とまで思いだしてるきらいがある。
「竹槍じゃ流石に飛行機は落とせないから、新しい化学兵器さえ、軍備さえ整えれば、日本は戦争に勝って幸せになれる」
そんな事を考えているんじゃないか、このバカは?
と思えるようなのが政治家や官僚にわんさかいる。
それがいいと選ぶ輩もわんさかいる。
戦争して、勝てば幸せがあるという頭の悪さ、鈍感さに辟易する。
今度は失敗しないぞ!
日本は悪くない!
東洋の他国を欧米から解放してあげるための聖戦だったんだ!
なんて本気で考えているのが政治家やっているのだから、本当に危険国だ。
負けたんだから、ちゃんと懺悔して、慚愧し続けなければならない。
チャンスなんだな、負けたことは、慚愧する。
二度と同じ過ちは侵さないというのであれば、いかなる状況におかれたとしても戦争には加担しないということ以外にない。
日本の戦争への反省?後悔?は、名古屋市長の謝罪、メンタリストの謝罪とそっくりだ。
やってしまっや事を問題とするのではなく、やり方を問題としているだけで、反省点がズレまくっている。
ドイツは、負けて、後悔ではなく懺悔して、慚愧し続けている。
国を挙げて、先の大戦を謝罪し続けている。
今も若者の多くが、「ドイツはとんでもないことをしてしまった。これは、時が経て、世代が変わろうが謝り続けなければならないことだ」という気持ちを持ち、自分たちの国が犯した罪を恥じていると聞く。
「76年も経つのにいつまで昔のこと持ち出してモンク言ってんだよ!」
これが日本人の姿勢。
敗戦後、多くの国民は速攻犠牲者になったと聞く。
「国に騙されていた。わたしたちも犠牲者だ!」
と、そちらの感情だけに執着し、自分たちが犯してきた罪から目をそらしてきた。
聖戦だと言って若者を殺戮の地へ送り込んだこと、それによって、殺人者を多数出したこと、膨大な餓死者を出したこと、殺されたこと、そんなことを忘れ、昨日まで「ニッポンバンザイ!天皇陛下万歳!鬼畜米英!」とやっていたことも綺麗サッパリなかったことにして、
「わたしは騙された」
と、被害者意識丸出しで戦後を歩んできた。
それは、戦後に産まれようが関係ない。
わたし自身も、最近まで、国が、政府が、それくらいまでしか、当時の人間がくらいまでしか思っていなかった。
でも、後悔で終わらせると、必ず同じ過ちを犯す。
何が足りない、いまの日本の、次やったら勝てるかも、みたいな空気を変えるには、二度と武器は持たない、二度と戦争には加担しないという空気にするには、と考えた時に、やっぱり、自分の問題として考えていかなきゃならないなと、一人ひとりが。
日本がやらかした戦争を慚愧することを相続していくことしかない。
日本は負けた。
そこから始めよう、先ずは。
負けた以上は調子こいてないで頭を下げ続けるしかない。
せめて、相手が、もういいですよ頭を上げてください、と言ってくれるまで。
それでも、それをやってきたドイツは頭をあげようとせずに、徹底して自らの国が犯した決して許されない過ちを教育しているという。
日本は?
どんどん、そうした歴史認識を教科書から省いている。
戦争は勝とうが負けようが、参戦した以上は間違いであり悪だ。
それを学ぶことができるのは負けた国ならではだ。
戦勝国はそうはなれない。
米国はひたすら参戦して勝ち続けるしか道がなくなっている。
原爆投下すら正義だったというしかない。
いくら国民が原爆に反対しようが自力では無くせなくなている。
日本は負けた。
だから、二度とそんなもんはやらないと、と思える。
参戦しなければ、原爆投下も、東京大空襲も、沖縄戦もなかった。
神風特攻隊なんぞでやたら若い命を落とさずに済んだ。
戦地で餓死させずに済んだ。
自殺させずに済んだ。
人殺しをやらせないで済んだ。
強姦魔にならさずに済んだ。
面白半分で捕虜を殺すようなことをさせずに済んだ。
戦後日本の懺悔なきままの経済だけの復興が、いまの日本の戦争加害者としての慚愧のなさが、日本社会の当たり前の風潮と成り、やり方次第では上手くいったかも的な反省しかできない人間を生み出し、オレは悪くない人間の巣窟とし、物質的価値以外に価値を見いだせない人間を生み出している元凶といっても過言ではないと思う。
日本はこの76年、時間を節約して、立ち止まり考えることもせず、ただただ金と名誉と利権だけに邁進してきて、ついには国民もそれが人間の当たり前の在り方であると勘違いし、民がやせほそり、国もがりがりにやせほそっている状態だ。
何度でも言う。
日本は、昭和20年(1945年)8月16日に完全に負けた。
無条件降伏をした。
無条件だ。
いまこそその事実と真摯に向き合い、戦争で内外に犯した犯罪をひとりひとりが見つめ直し、なぜそんな非道なことができてしまったのかを互いの共通の課題とし、慚愧していくことが賢明だと思う。
日本だけが悪いんじゃない。
わたしが悪いんじゃない。
そんな立場で物を考えず、人間がなぜここまで憎しみ合い、殺し合わなければならないのかを人間お根っこに在る、誰でもが持っている残虐性を根底に見据えた上で、きちっと平和を考えていく必要があると思う。
これは卑下することでも、自暴自棄に成ることでもなく、日本が、ひいては世界中が、壁を超えて平和を創造するチャンスなんだ。
名古屋市長やメンタリストのような残念な謝罪ではなく、本気でどうしたら謝罪が成り立つのかを考えよう、個々で。
政治家、特に政府や現与党の意見持てない政治家、アホばっかだし、どうせ分からねやつが大半だし、ウチラが考えてやらなきゃね。
みんなで日本を救ってやろうや。