怨憎会苦
ほんとうに自分というものをもっている人は、
すべての人と平等に出会える。
けれども私たちは、
あいつはいいがこいつは嫌いだというように好き嫌いがあり、
会える人と会えない人をもっている。
会えない人を作ることで、自分自身で自分の世界を狭くし、重苦しくしている。
宮城顗
大坂なおみさんが
ウエスタン・アンド・ サザン・オープンの準決勝への出場をボイコットするとした際に出された声明を読んで、素直に素晴らしいと思った。
そして
大会側の対応を経て
ボイコットを取り下げ、大会への参戦を再度決めたことも凄い。
自分の中できちっと、その時その時の大事を受け止め、悩み、決め、行動に移すことができる。
若くても、それだけ苦労だけではなく
涙し、悔しい思いもし、
それでも拗ねることもなく
自棄することもなく
向き合って生きてきた人ならではの言葉であり行動だと思う。
白人がマジョリティのスポーツの中で会話を始めることができれば、正しい方向への一歩だと考えている。(大坂なおみ)
声明の中でこう述べ
大会運営側がそれを受け止めて27日の大会を中止し
真摯に大阪なおみと話し合いを進めたようだ。
その結果
対話ができる方向にあると判断した大阪なおみは、今日、再開された大会への参加を決めているわけだ。
ここでも凄い判断をしている。
啀み合いをするため、
自分の考えを押しつるけるためではなく、
あくまで、必要なのは互いの問題として受け止めていく場が必要だと考えていたことが伺い知れる。
自我があることをも受け止めているんだ、彼女は。
自分が絶対に正しい、そこに立っているのではなく、
相手にも言い分があることをも含めて
それを受け止める覚悟が見える。
もちろん
いままき起こっている
彼女へのジェラシーからとしか思えない
彼女への口汚い
誹謗中傷、ありえないような言葉の数々、
そんなものが自分に向けられるであろうことも十二分に把握していただろう。
でも、引けない思いと
人間として引いてはならないという願いに立っている。
自分というものがきちっとあるんだな。
テニスプレイヤーである前に
大坂なおみであり
大坂なおみである前に人間である。
そんな強い意志を感じる。
テニスプレイヤーだから
なんの某だから
何人だから
そんなくだらないカテゴリーは人権にはいらない。
人であるかどうかだ。
命あるかどうかだ。
ここに在る
みな同じくしてここに在る
大事の理由の根っこはそれだけのことだ。
みみずだって おけらだって あめんぼだって
だ。
一寸の虫にも五分の魂
だ。
そこに立つ勇気が大坂なおみの中には在るのだろう。
きっと彼女だって怖いだろうし
心細いだろう。
口汚い言葉に
無表情な言葉に
口惜しいだろうし
悲しいだろう。
でもここで引けないのだろう。
どうするよ。
自信はない。
昨日も書いたけど今日も同じ結果が出た。
人間やってます。
ヨロシク。
これ目指すのが今日も結論。
好き嫌いは消せません。
嫌いなもんは嫌いです。
でも、嫌いなやつとも
殴り合うのではなく
啀み合っても話をしていく
そうあろうとはしていきたい。
できねぇ〜なぁ。。。
でも嫌いな人間と一緒に生きる
これは人間に定められた業なんだよね。
怨憎会苦
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