人間さ。
真実はひとつじゃないと言ったら、あなたは驚くだろうか。
でもそうなんだ。
事実は確かにひとつだよ。
でもこの事実も、どこから見るかで全然違う。
事実は、限りなく多面体なのだ。
森達也
昨日、35年ぶりに友人と再会できた。
と、いってもSNS上でだけど。
挨拶程度で、別段深い話はなし。
それで十分。
元気でいてくれて、「もしかして〇〇さんってあの〇〇さんですか?」って問いかけをスルーしないで、「久しぶり!」と返してくれただけで。
ま、性格の問題や当時やらかしてきた問題等々、ガン無視、スルーされても致し方がないわたしを受け入れてくれて、サンキュー!って感じ。
でもそれよりも、たまたま、元気そうな彼を見つけたときのほうがテンションは上がった。
この年になってくると、昔の友人が元気というのは、自分もまだ大丈夫って言ってくれているようでありがたく感じるもんだ。
で、今日は今日で、小中学校で同じクラスだった友人に、これは面と向かって会った。
一言二言会話して、別れ際、この状況が落ち着いたら一杯やりたいね、と向こうから誘ってくれた。
ま、万が一、リップサービスだったとしても、嬉しいもんだ。
ここでも、小中学校時代の自分の横柄さが思い出され、それなのに笑顔で接してくれて、酒飲みに行こうとまで言ってくれる友人に感謝。
みんな優しい人達だ。
って、どこまで腐れてんたんだオレは!
と、気づかしてもくれる。
なんか昔の友人に会うたびに、あの節は本当に申し訳ございませんでした、と謝っている(内心だけでね)自分がいたりする。
ともかく、オレは間違っていない!、でしか生きていなかったよなぁ、と、赤面もんだ。
いつのまにか、そういうのって恥ずかしい人間だぞ、っていうのを教え込んでくれていた環境や周りの人々にも感謝だな。
ついでに、恥ずかしい人間としてしか基本生きられないもんだ人間てもんは、と、根本は変われるはずもないってことも叩き込んでくれている。
傲慢だし、自分勝手だし、一方向からしかものを見れない、受け止められない。
視野狭窄のくせして、他人が「それ、実は、こいうふうにも見えるんですよ」と教えてくれても受け入れられないわたしがいる。
昔と違うのは、体力なくて、疲れちゃうから、戦うの、否定するのをやめるようになっただけ。
つまり、まだ昔のほうが相手の言い分を聞いていたかもしれない。
最近は、スルー、馬耳東風、馬の耳に念仏、そんな自分が垣間見えることがある。
やばし!と思って、必死に耳を傾けるが、傾けたときには時遅しで、話が進んじゃっていて、いよいよ何をいいたいのかが分からんくて混乱に陥る、なんてこともある。
でも、しつこく「どういう意味?」とか絡む事はできない。
なぜなら、人見知りで、面倒くさがり屋で、なるべく合わない人と同じ空間にいる時間は短くしたいから。
結果、「ハハハハハ。。。ですよねぇ〜」てな感じで逃げまくっている事が多い。
でも、昨日、今日と友人に会えて、少しもう少し、人と触れ合ってみたいな、そんな気分になれた。
自分も、まだ、ギリ、人間であれるようだ。
間を楽しめる、楽しみたい、そんな気持ちがあるようだ。