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掴めなかった先生の手~本当の感情に気づけていない子供~




今まで、私は怒る事があまりありませんでした。
子供の頃から今まで、自分は怒りの感情をあまり感じないタイプなのだろうと思っていました。
小学生途中から中学生の頃に、○○ちゃん(私)はほんと怒らないねと友達から言われた事がありました。
振り返ると、タイプとかではなく、私が父親からの体罰と、数々課される宗教上の制限のせいで、心身の感覚を麻痺させてしまっていて、私が自分で怒りの感情を感じにくくしていたからだった、と思います。


父親からの体罰は、小学校就学の頃からあり、その頃は嫌だといつも泣いた記憶があります。
時には、父親に向かって、もう叩かんで(叩かないで)!と、もう叩くなー!と、子供ながら心底怒って言った記憶もあります。
でもその後も体罰はなくなる事はなく、私はだんだん、諦めたんだと思います。
言ったところで、泣いたところで、怒ったところで、叩かれる事は無くならない、何も変わらない...、だったら何も言わず、何も感じないほうが楽...と。
そうして私は、自分の感情、感覚を感じる事をやめていったと思います。
思い出すと、少し学年が上がった頃には、もう何も言わず、抵抗もせずに、黙って体罰を受けていた私でした。


自分の感情を感じる事をやめてしまうと、何に対しても、あまり何も感じない自分になりました。
喜怒哀楽を感じる感覚が、極微弱になり、例えば怒りの感情の場合だと、何か嫌な事をされたり、言われても、すぐには何も感じずに、無反応です。
そして、その日の夜になってからとか、翌日になってからとか、かなりの時間差があってから、あ、あれは嫌な事だった、と随分遅れて、後になってから怒りを感じたり、気づくのです。私は、そういう状態になりました。
その時に、瞬時に、すぐに、本当の気持ち、本当の感覚に気づけないから、反応出来なくなりました。
私は、小学3~4年生の頃に、自分の感情を感じる事をやめてしまった、感じる感覚を麻痺させてしまったようでした。

あの頃、誰かに気づいて欲しかった...
気づいて話しかけて欲しかった...

そう考え、振り返りました。
そうすると、私はもしかしたら当時、先生が声を掛けてくれていたのかもしれない、そう思いました。
記憶が蘇ってきました。
小学校でも、中学校でも、担任の先生や、ほかの先生、声を掛けてくれた先生がいました。
「おはよう! 元気か?」、挨拶以外に、「これはどうしたの?」とか、「大丈夫か?」という私の体調や表情を心配しての声掛けがありました。
でも、その時、私は自分の置かれた状況に、自分で本当に何も気がついていなかったので、「...え??大丈夫か...って何の事だろう...?」と、不思議に思うくらいでした。
小学生途中から中学生の間、自分なのに、本当の自分ではない自分で過ごしました。
進路指導の時には私の意思を「本当に、それでいいのか?」と、何回も聞かれた事がありました。あまり深く考えずに「これでいいんです」と答えていました。父親の支配下にいる私でした。
きっと先生は何かに気づいてくれていて、気づいたから、私にそんなふうに何回も聞いて言ってくれていた、と思いました。


でも、その時私が、自分の状況も本当の気持ちも自分で気づいていないから、助けを要請する事も考えつかず、何かを相談する事も出来なかった。
先生は、何かを感じて、何か助けようとして、私に声掛けして、手を差し出してくれていたかもしれなかったのに、私は自分で自分の状況も心の中の本当の気持ちも、何にも気づけていなかったから、自分からは手を伸ばす事は無く、差し出されていた手を掴む事が出来なかった。


今、思います。あぁ...あの時、あの頃、自分が自分の状況に、自分の感情に、もっと気づいてさえいたらと。
当時、とても、難しかったと思います。
私が小学生の頃、春、新学年になると、父親が小学校に(担任の先生に)電話をして、宗教教義を伝え、学校での禁止事項について話していました。
当時、先生方は、何か、なんとか介入をと思ってくれたかもしれませんが、父親が保護者としてガードしているから、そして、当の本人の私からも何の声(相談や救済希望など)も上がっていない状況なので、私の事はどうしようも出来ない範囲の事だったと思います。

でも、そう考えると、もしかして、今もそういう子供達がいるのだろうか、いるのかもしれない、と考えると、どうしようもなく辛い気持ちになります。
宗教2世でも、宗教2世ではなくても、今辛い気持ちの子供達、心身虐待を受けていたり、心の中に抑え込んだ未消化の感情を作っていたり、自分の本当の気持ちに気づけていない子供達、
そういう子供達が今も存在するのかもしれないと思うと、どうしようもなく涙が出ます。
今のそういう子供達に、私と同じ気持ちを味わってほしくない。
ただそう思っても、私は今、思うだけで、何も出来ずに、どうしようもなく無力です。


私は、幼少期から、何十年も経過した今になって、自分が自分で気がつかなかった、心の中に抑え込んで来た未消化の感情と向き合っている現在です。
今、私は何も出来ないと考えると、私の声を書いても良いのだろうかとも思います。


でも、1つだけ、ここに書かせてもらえるなら、
私を含むまわりの大人達、子供達に近い距離で関わる事が可能な先生方、先生方だけではなく、他の関わり方で子供達に関わっていらっしゃる方々の、少しの声掛け、
「大丈夫か?」とか、
「何かあった?」とか、
「話してみてよ。」とか、
例えばそういう声掛けを、1度だけではなくて、
" 継続的に " して頂けたらと、思うのです。
子供達が、その時の自分の本当の感情に、気づいて、声を出せているか、少し意識しつつ。
1度目の声掛けで、子供達が何も気づいていなくても、その後少し時期を変えて継続される2度目、3度目、4度目それ以降の声掛けの時には、
もしかして子供達が自分の置かれた状況や、本当の感情に自分で気づいていて、
その時差し出されている手に気づいて、自分でその手を掴もうと手を伸ばせるかもしれない、
自分で自分の本当の気持ちを話す事が出来るかもしれない、そう思うからです。
そこから先に、適切な対応を受ける事に繋がるかもしれない。
すでに、子供達の居る現場では、そのようにしていらっしゃるのかもしれないと、本当に思います。
今の子供達の現場の環境に対して無知識で、言葉も足らない私がこんな事を書いて、本当に申し訳ありません。


でも、今、私達の横に居る子供は、もしかしたら、それぞれ大変な理由があって、自分の心の中の本当の気持ち、本当の感情に気づけていなくて、今の自分の状況に気づけていなくて、何も言えていない子供かもしれない。
自分の、今の、本当の気持ち、状況に気づいて、その後自分の人生を自由に選んで生きていく環境が、子供達全員に等しくあってほしい。


私は、今、心から思います。
私は、もしも可能だったならば、
子供の頃に、自分の中の、自分の本当の感情に、気づきたかったです。


その気づく最初のきっかけを、少しの助けを、少しの応援を、どうか、現場のプロの先生方に、子供達に関わるすべての方々に、私も含めまわりの大人の方々に、どうか、お願いをしたいです。この記事が何か少しでも参考になればと、思います。


お読み頂き、ありがとうございました。



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