心の中から込み上げた怒り②~愛があるからこその思い~
※この記事は、私の思い込みから湧いた怒りを書いています。実際には伝えていませんが、大切な感情だと思いました。一部言葉がキツイ部分があります。ご容赦ください。
(父親から、また、出版物が郵送されるかもしれないという思いから湧いた怒り。①の続き。)
『 当時、私は、逃げるようにして、離れました。
でも、妹は、今の妹なりの気持ちの整理は出来ているけれど、父親からのコントロールに支配されたまま、生き方を押し付けられてしまった、私はそう認識しています。
罪だとは思いませんか?人が自由に生きる事を、力で、支配で、奪われた。いくら、親心、良かれと思っても、です。人は誰でも、自分の意思で、自由に好きなように、生きる道を選び、生きる権利があります。
歪んだ愛情表現、とは、この事なんです。
手紙に書きました。機能不全家族で育ってしまっていた影響の連鎖で、父母は、気づかずに、子育てに体罰を取り入れた。子供の生き方を方向づけてしまった。宗教の教えからでしたか?いくら信じる宗教の教えでも、子供達に与える物事、それが、正しいか正しくないかの判断は、親の自分達で、するべき事ですよね?
何でもそう、何が正しくて、何が正しくないのか、この判断を誰でも普通に、自分で、しますよね?
父母も、そうやって、自分で決めて、生きてきましたよね? 私の心の叫びでした。
何が正しくて、何が正しくないか、この判断を自分自身の「心」でしなくなっている状態。
父母は、宗教に入信してから、自分自身の心を、しっかり自分自身で持たずに、宗教に明け渡しています。私からはそう見えます。
もう、わからない、伝わらないのかもしれない、と思いますが、唯一、家族でそれが言えるのが、私だけだから、伝えます。
父母は、心が、ニュートラルな状態から、宗教の信仰に傾いていると思います。
何が正しくて、何が正しくないか、の判断を、自分自身でしていません。宗教の教えに偏っています。
私は、2人には2人の生きてきた状況や環境があったのだから、そう生きるしかなかった父母だと思い、先日の手紙の伝え方にしました。
それで、伝わると嬉しいと思っていました。でも、伝わっていなかったので、進んで言いたくはなかったけれど、この手紙を、また書いています。
宗教を信仰する事、信仰心は、個人個人の自由です。だから、父母は、信じていて良いし、気の済むように信じ続ければ良いと、そう思います。
でも、私は、信じていないし、今後も、宗教に、心が傾く事はありません。私の生き方はそうなんです。宗教組織の出版物は、本当にもう一切要らないんです。
私が、生き方を押し付けられた事、その影響、後遺症が後々になってから現われ、自分の心を治していく事がどれだけ大変だったか、苦労と努力、まわりの支えが必要だった事、それをほんの少しでもわかってくれていたら、こうして再び雑誌など、送って来られない。少しは、自分の思考で、心で、考えてください。
自分自身の、心、はもうありませんか?
父母は、私の親として、宗教への信仰心というフィルター無しの、親として、本当の自分の目で、私を見る、そういう、愛、はもう無いんですか?忘れてしまって、もう思い出してはくれませんか?
父母、何が正しくて、何が正しくないか、わからないですか?
世の中に、私と同じように、子供の頃に親から信仰を強制され、その結果、心に傷を作り、生きる事がとても辛く大変に感じ、苦しんでいる人達がたくさん存在している事、ニュースで見ていませんか?
宗教2世、3世の人達の、苦しみ、そして幼少期に家庭内で虐待を受けて育った人達の、苦しみ、私は同じなので、痛いほどわかります。
信仰する事は、自由です。信じる物事は自由です。でも、事実、自分の意思や力ではどうにも出来なかった年齢の頃に、信仰心や教義を押し付けられた為に、虐待を受けた為に、今、その影響で苦しんでいる人が大勢いるんです。
そういう事実がある事も、きちんと、知っておいてほしい。その事を知った上で、自分の意思で、判断して、信仰して頂きたいと思うんです。
この手紙と、前回の手紙、私の気持ちは一貫しているつもりです。
私は、父母が行った事(虐待、それに気づかない事)と、起きた事(同じ)を、切り離して考えました。
もちろん、思いにくい事でした。実際に両親が私に対して行った事だったからです。
行ったのは両親。でも、両親が、そう行ってしまった原因が、機能不全家族で育った為だった。無意識に連鎖した物だった(から起きた)、と、そう思ったから、切り離して考える事が出来ました。
罪を憎んで人を憎まず、という受け取り方だと思いました。全ての事例が当てはまる訳ではないかもしれません。行う前に気づいてよ...、気づいてほしかった、とも、何度も思いました。
長い間そんな事考えもしなかったし、到底思えなかったし、こんなふうに考えて思えるまで、私は約30年、年月が必要でした。
ただ今、私は、両親から受けた事を受け止めて、虐待はもちろん一切容認出来る事ではありませんが、父母から受けた子育ての仕方は、機能不全家族で育った影響の連鎖によるものだったと思えました。
そして、宗教を信仰している、していない、それは個々の自由という事、を考えて、両親は両親、私は私、親子の関わりを持つ事に信仰心の有無は関係ない、とようやく、本当にようやく、本心からそう思えたので、やっと先日、会いに帰る事が出来たし、今、自分の判断で、自分の思いを伝えようとしています。
ですから、出版物を送られて来ても、今の私にとっては、この気持ちを伝えないままにして、もう黙って我慢して、静かに受け取る事、は出来ない事なんです。
こうして、伝える事に、私は娘としての最大限の愛情を込めています。伝わりますか?伝わると嬉しいです。 』
ほとんど一気に打っていました。
実際には、届いていないのにも関わらず、また父親から何か届くかもしれない、というその思いだけで、気持ちが込み上げてしまいました。ずっと、心の奥に燻っていた気持ち、抑えていた気持ちだったと思います。
この時、どうしようもなく湧き上がる気持ちを、何とかして外へ吐き出さないといけなかったんだと思います。
そして、全部書いて、吐き出した後、ここまでの言葉を両親に伝えなくてもいいように、どうか父親からの出版物が届かないでほしい、と思いました。私に、ここまでの事を言わせないでほしい、と思いました。
でも、もしも届いたら、言葉を再度考えて、私はこの気持ちを伝えるだろう、伝えなければならない、と思いました。
両親がなかなか理解しづらい事を、伝えなければならない事は、私にとっても辛いし、心身疲弊する事です。でも、今の、私には、譲れない事でした。
ただ、もしも届いたら、両親にまずは確認しないといけない。
この郵送物は、父母、何か考えた上で私に送ったの?
どんなふうに考えて、送ったの?と。
それとも何も考えないで送ったのか?を。
聞いた上で、私の気持ちを伝えるか伝えないか、再度考えないといけない、と思いました。
③に続きます。
お読み頂き、ありがとうございました。