私の過去⑩~子育て・両親への葛藤~
自分は絶対に両親のようにはならない、と思って子供に接していましたが、子育てとは本当に簡単なものではありませんでした。
マニュアルのような、そんなものはないし、相手は小さくても意志を持った生身の人間で、本当に日々試行錯誤で、手探りしながらでした。
自分の子育てが、適切だったのかどうかはわかりませんが、意識をしたのは、子供の話しをちゃんと聴こうという事でした。
完璧ではないし、足らなかったでしょうし、未熟でしたが、自分自身の経験から、忙しくても、子供が今どんな気持ちで何を話しているのかな、と意識してよく聴いて、幼くても1人の人として接して、愛情を込めて明るく丁寧に反応を返すようにしました。
そして、子供が、あれをやりたい、これをやりたいと言った時に、一緒に話して気持ちをわかって、子供がやりたい事をやれるように可能な範囲で協力しました。
日々の会話で喜怒哀楽や、迷いや戸惑いを、共有して味わって、気持ちを素直に表現して伝え合うようにしました。
毎日バタバタとしていましたが、大変ながらも楽しいと思いました。
子供と一緒に、私も、自分が子供の頃に体験出来なかった事を追体験しているような気がしました。
もちろん良い日ばかりではありませんでした。
いろいろなストレスで疲れていたり、私自身が気持ちが落ちている時などは、明るく笑って子供に接する事が難しい時もありました。
そんな時は、そういう私自身も見せました。
子供の年齢に応じて、見せる度合いは考えましたが、子供に負担にならない程度で、ありのままの弱い私の姿も見せて、ぎゅうっと抱きしめて、私が元気をもらっていました。
子供が反抗期の時は、様子を伺いながら声掛けしたり、時には本気で大喧嘩をしました。
不器用でしたが、愛情とあなたが大事という気持ちで、体当たりで接しました。
私はそんなふうにしか出来ませんでした。
その日その時、出来る時に、出来るように、言葉をやり取りして、気持ちはちゃんと行き来するように、通じ合うように努めました。
そして、本当に有り難い事に、必要な時に、主人や義父母、友人達の協力が得られました。そのおかげで私は子育てが出来たんだと思いました。
そして、もしかしたら、
私の両親には、そういうふうに近くで協力してくれる人、親身になって支えてくれる人が居なかったのかもしれない...
居たとしても、頼れなかったのかもしれない...
頼ったところが、宗教だったのかもしれない...と思いました。
自分自身が子育てを経験して、年齢を重ねて、やはり、ふと、時々よぎるのは実家の両親でした。
両親も、私と同じように、子供の事を思って育ててくれていたのだろうか...
私自身が親の立場を経験して、初めて感じる気持ちでした。
宗教に入信してからは、間違った愛情表現だったけど、両親なりの愛情を持って、私を育ててくれていたんじゃないだろうか...
時々そんなふうに、考えました。
私が幼い頃の写真がたくさんあった事を思い出しました。両親も私も笑顔で写っている写真でした。
あぁ... あの頃 ... 可愛がってくれてたな ...
でも、両親の愛情を思い起こそうとすると、
宗教と宗教教義による体験が思い出され、私の前に大きく分厚い壁となって立ちはだかりました。
体罰、数々の制限、我慢、否定され続けた事、
父親との対立、バカ娘が、バカ娘が、と連呼された事、
両親との事を親戚の叔母に相談した後、母親からそんな事を話さないでと言われた事、
そういう事が思い出され、いつも両耳を塞ぎ、座り込みました。
会いに行こうという選択肢は何年も思い浮かびませんでした。
一昨年のいつ頃か、私の携帯電話に、母親からの着信履歴がありました。
滅多にない事なので、両親どちらかが体調不良にでもなったのではと思い、かけ直しました。
しばらく鳴らして母親が出ました。
間違って指が当たってしまい、私に電話がかかってしまったとの事でした。
お互い少し話しにくく、ぎこちなく、お互いの近況等を報告しました。
すると父親が通り掛かったらしく、母親がいきなり父親に代わると言いました。
父親が電話口に出ました。
私は、たしか、お久しぶりです...と言ったと思います。
父親は「いや~○○(私の名前)、元気にしてるか。
すまんなぁ、なにもしてやれんでなぁ。」
と言いました。
私は、瞬時に頭の中にハテナ?がいっぱい浮かびました。約20年ぶりの会話にしては、あまりにもざっくばらんな言い方でした。
すぐには何も言えず、少しして、...いえ。と言ったと思います。
父親が何のことを言っているのか、分かりませんでした。
すまんなぁ、なにもしてやれんでなぁ
すまんなぁ、なにもしてやれんでなぁ
すまんなぁ、なにもしてやれんでなぁ
頭の中でそのフレーズばかりが繰り返され、その後、会話をした記憶はなく、すぐに
それじゃあ身体に気をつけて。と
電話は終わりました。
父親の声は変わっていませんでした。
なんだった...?と考えました。
すまんなぁ、と詫びていましたが、
体罰やたくさんの制限をした事へのすまんなぁではなかった...
なにも してやれんで(してやれなくて) すまんなぁ
どういう事なんだろう...と思いました。
私は特になにかをしてほしいなんて思ってないし、私が謝ってほしいと思っていた事とは違っていたけれど、
父親は、私になにかを謝りたかった...
精一杯、あんなふうに言ったんでしょうか...。
あんなふうにしか、言葉が出なかったのでしょうか。
少しは私に悪かった...と思っているという事なのでしょうか。
すまんなぁ、なにもしてやれんでなぁ。
私になにかしてやりたいが...と、思ってくれているという事だったのでしょうか。
父親と私は似ていると思いました。たぶん、似ていると、子供の頃から思っていました。
伝えるのが下手。受け取るのも下手。
頑固で口下手で、不器用で。たぶん、とても、似たもの同士なのかもしれない...そんなふうに思いました。
その夜、電話の事を主人に話すと、会いに行かなくていいの? と聞いてきました。
私も、これは何かきっかけかな...と、
何か話せるかもしれない...、と思い、その後、
今度の休みに実家に行ってみるわ、と言いました。
そう自分で言ってからも、内心迷い葛藤しつつ、
その都度、でも気軽に思って、久しぶりに行ってみよう、短時間でいいんだから。
両親には黙って行こう、近くまで来たからと言って寄ればいいんだし、顔を見て帰ろうと思いました。
そう思って、当日の朝までは、実家へ行ってみる気持ちになっていました。
でも、結局、行けませんでした。
身体が動かなかったのです。
会いに行きたい、行ってみようと思う自分と、
会うと、関わると、また傷つくんじゃないの...?
もう今まで何回もそうだったでしょ?
きっとまた傷つくよ?また同じ事繰り返すの?
と言ってくる、もう1人の自分がいました。
行く準備をして、自宅の部屋の入り口に座り蹲り...、
会いには、行けませんでした。
会いに行く事を、諦めました。
昨年夏に痛ましい事件が起き、
その後、宗教2世問題が取り沙汰される事になりました。
⑪へ続きます。
お読み頂き、ありがとうございました。