『月の沙漠の曽我兄弟(6)』
源田印刷全社員に緘口令が布かれた。特に社外に出掛けることが多い営業部の社員には、より厳しい警戒が命じられた。
純一は内心で焦っていた。
同期の横田が伊東パッケージのファイルを見つけてそれを疑問視したことに加えて、週刊誌の記者が水面下で源田印刷の裏事情を偵察していたことが分かった。このままでは源田印刷に致命的な損害を与えることは免れなかった。
だが、純一が焦っていたのは、そんなことを懸念していたからではない。このまま指を咥えて局面を眺めていては、自らの手で父親の敵である工藤祐介に復讐をすることができないと思ったからだ。
思春期の頃、勝気な弟が、親を真似て拙い遠吠えを響かせる狼の子のように、夕空を飛ぶ鳥の群れに向かって「ふくしゅう」と叫んだことを、純一は覚えていた。その時、自分は弟の大吾に何も言わなかったが、きっと大吾は兄も同じ気持ちでいるのだとわかってくれただろう。
確かに、自分は大吾の切実な思いに寄り添い、大吾が言う「ふくしゅう」に乗じた。だが、上京して以来、大吾とは疎遠のままだ。懐かしい記憶を呼び起こせば、母に三郎のことや会社のことは忘れろと戒められた大吾は、その後、専門学校に進んだはずだった。それからどんな仕事に就いたのか、純一は知らなかった。正しく言えば、知りたくなかったのだ。
母や母と同居している祖父に尋ねれば、例え大吾の消息を知らずとも、それを辿るヒントや知り合いを教えてくれたはずだ。だが、もしもそれを辿って大吾を見つけた時、大吾がすっかり「ふくしゅう」の情熱を失っていたとしたら、純一はどう振舞っていいのか分からなかった。あの時、父の墓前で母が言ったように、一切の過去を忘れて新しい目標に向かっているのならば、もう自分も工藤を深追いしない方がいいのではないかと、弱気になってしまいそうだった。いずれにしても、このままじっと形勢を傍観しているだけでは何も答えを出せそうになかった。
純一は営業部のミーティングが終わって、あっけないほどの日常に戻った事務室の自席で、しばし黙考した後、椅子を蹴倒すようにしておもむろに立ち上がり、外回りをしてくると言い残して、会社を飛び出した。
『月の沙漠の曽我兄弟(7)』につづく…。
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