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【インタビュー】𠮷田恵輔監督に聞く

みなさんこんばんは❤️‍🔥

先日お送りした、𠮷田恵輔監督特集の紹介はお読みいただけましたか?
今回はその番外編として、𠮷田恵輔監督へのインタビューをお届けします🤤✨

9/27に行われたラインナップ発表記者会見で、今年の「Nippon Cinema Now」で3作品特集される𠮷田恵輔監督にインタビューさせていただきました😳🧡

𠮷田監督は現在公開中の『空白』『ヒメアノ〜ル』など数々の作品で高い評価を集め、今後世界での活躍が期待されている監督です✨
今回は私たち学生応援団が聞いた、𠮷田監督の学生時代や好きな映画についてお届けします!

※𠮷田監督の𠮷は上が土になります

ーー𠮷田監督が映画監督になるまでのお話を聞かせてください。

俺が他の映画監督と違うのは監督になりたいって言った時期が一番早いってこと。もう覚えてない幼稚園の頃には言ってて、もちろん小学生の卒業文集にも映画監督になりたいって書いた。クラスみんなサッカー選手になりたいって書く時代なのにね。当時の俺はジャッキー・チェンが好きでジャッキー・チェンになりたいって思ったの。とにかく会いたくて、ジャッキーチェンに自分の好きなように戦わせたかったの。「ここはこう飛んでほしい!」とか「こんな感じで戦ってほしい!」とか。

そんなとき大人にそういう指示は映画監督ができるんだよって教えてもらって、当時仕事の内容はわかってないけど映画監督になったらジャッキーに会えるって言うから目指すようになったかな。それで小学生のとき『映画監督になるためには』って本を買った。それを読んで、学校の勉強もあまり関係ないよと、それより女遊びをしたり悪さをしたりそんなことが作家的な武器になるんだよと書いてあったから、それはちゃんとそうします!と思って中学校のときからほとんど勉強もせずずっと遊んでた。

そこに書いてあったのが、映画の専門学校があってそこに行くためには高校を出ないといけないってこと。だからとりあえず高校に入って、そこで運命的な、塚本晋也監督の作品と出会いを果たしてちょっと追っかけみたいなことをしてた時期があった。トークショーによく行ってたな。そこで作品を作るためのボランティアスタッフを募集してたの。当時300人くらいの応募が来てる中でまず10人が選ばれて、その中から1人が現場に行けたんだけどその1人が俺。優秀でしょ?(笑)

ーーすごいですね!そこから今に至るまではとんとん拍子だったのですか?

それが全然そんなことなかったのよ。塚本監督のところでボランティアをしながら妄想していたのが、塚本監督がやってたような自主映画を自分で作って映画祭に出して、そこでグランプリとって映画監督として認められてデビュー!みたいな道のり。当時大学生くらいの年代の俺は、自分が間違いなく天才だと思ってるのよ、何の根拠もなく。

でも出品する映画がどれも1次でダメになる。グランプリ取るまで1次、2次、ノミネートってあるのに全作品の8分の1くらいが通る1次にさえ通らなかった。最初は審査員がバカなのかなとか、今回自分に時間がなかったとか適当に言い訳してたんだけど、これが3年くらい続いた時にふと気付いたんだよね「俺って凡人?」「俺って特別じゃないの?」って。俺のお母さんって「あなたはやればできる子よ」ってずっと言ってたけど全然そんなことなくて、「もしかして俺って選ばれた人じゃないの?」って思い始めた。

ここで自分が凡人って気付いてから10年間くらい何も通らなかったんだけど、30歳になる直前に初めて1次通過した……と思ったら2次も通ってグランプリ獲っちゃった。だから俺は一番底辺とテッペンしか経験ないの。
普通は階段を登るイメージで評価が上がっていくけど、俺の場合そんなことなかった。よく考えたらこれってバンドマンにも同じようなことが言えると思ってて、全然売れないのにあるきっかけでいきなり人気になってメジャーデビューするみたいな。階段を登ってないんじゃなくて階段が見えてないだけなんだと思う。実績としては階段を登ってないんだけど、最終的に結果を出すまでに努力したり技術を磨いたりしてるわけだから。実績がないとずっと平坦な道なんだけど結果が出て上に登った時、階段が見えてなかっただけってことに気づくのよ。それを信じて破綻した人生を送ることになる可能性は0ではないけど、俺はそういう風にやってこれたね。

ーー人の心を揺さぶるような作品を作る𠮷田監督ですが、学生の頃はどんなことを感じてどんなことを考えていましたか。

確か俺初めて友達できたのが12~14歳くらいの時なんだよね。それまでは「友達」っていう概念がなかったの。だからサッカーもしたことないし、みんなで何かしたこともなかった。小5の夏休みにクラスメイトが家に遊びに来たことがあって、ピンポーンって。「遊ぼう」って言ってきたんだけど、当時の俺は「え、夏休み1日なくなるじゃん!どういうこと?」って意味がわからなかった。「友達」の概念がなければ「友達と遊ぶ」っていう概念ももちろんなくて。

だからよく一人でスケボーしてたかな。中2の時に初めて「友達」ができたかな。ランページやってて、よくやる場所にいたのが不良連中。その誰かと仲間になればランページできるじゃんと思って初めて自分から声かけて、友達ができた。それまで友達いなかったしその概念もなかったから空気を読むってことができなかったのよね。だからそもそもの感情ってものがよく分からなかった。

20歳で初めて「空気」を学んだのよ。人がこういうことを言うと「ああ、今イラッとしているのはその発言かな」みたいな感じで一つずつ。研究して学んでわかるようになったの。普通に人と接してたら無意識で考えないような「あ、この感情にはこういう対応するのが正解なんだな」ってことも俺知らなかったから、「あ、これが友達なのね」って思ったしその時は本当に宇宙人と初めて対話するみたいな感じ。

人の感情を一から勉強してきたから「この人は何でこれ言ったんだろう」とか「この感情は俺のデータにないぞ」とかまだまだ勉強中だし、人の感情に目を向けがちになる。自然にできちゃうと見逃しちゃうことあると思うんだよね。

ーー最後に、学生の時に好きだった映画を教えてください。

 今でも好きな『JAWS』。この作品のすごいシーンが、『JAWS』と最後戦う前の夜に3人でただ喋ってるだけのシーンなんだけど、このシーンってやけに長いのよ。長いんだけど、何回見ても面白いくらい集中して見れる。映画ってアクションがあって、アクションに魅せられると役者が動かず喋ってるだけでもこんだけ面白くできるんだってところを知って、その魅力に惹きつけられた。でも一方で映画ってお金かけて派手なことしなくても居酒屋で3人の男が喋ってるだけで、内容によってはめちゃくちゃ面白い映画になることもあるよね。その感覚が共存してるから映画ってすごいと思う。



<プロフィール>
𠮷田恵輔さん(Keisuke Yoshida)
1975年生まれ、埼玉県出身。東京ビジュアルアーツ在学中から自主映画を制作し、塚本晋也監督作品の照明を担当する。2006年に『なま夏』を自主制作し、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭ファンタスティック・オフシアター・コンペティション部門のグランプリを受賞。2008年に小説「純喫茶磯辺」を発表し、自らの手で映画化する。近年『ヒメアノ~ル』(2016年)、『犬猿』(18年)、『愛しのアイリーン』 (18年)、『BLUE/ブルー』(21年)、『空白』(21年)をなど精力的に発表。今年の「Nippon Cinema Now」部門でこれから世界で活躍するであろう監督として特集を組まれる。
※𠮷田監督の𠮷は上が土になります

(執筆者・トモカ)

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ここまでお読みいただきありがとうございます🥰

𠮷田監督作品を、いちファンとして見させていただいていたので、直接お話を聞けたのはとても貴重な経験でした、、!!
映画祭での特集上映はもちろん、今後の活躍が楽しみです🧡💛

21日から、映画祭にまつわる新しい特集をお送りしますのでお楽しみに✨

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