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炎上の時代を生き抜く教科書 #群集心理
群集心理学の名著。100年近く前の本だけど、怖いほどにその通りだなあと思わせてくれる分析。
書きとめながらじゃないと頭に入らないなと思い、メモ取りつつの読了。
群衆の一般的特徴
群衆とは?
・多数の個人が偶然により合ったからといって、組織された群衆の性質をおびるものではない。(中略)心理的群集の特性を具えるには、ある刺戟の影響が必要である(p26)
・多数の個人が同一場所に同時に存在せねばならぬことを必ずしも意味しない(p26-27)
この本では、なにかしらの形で組織された集団を「群衆」として扱っている。
組織された群集には、「群集の精神的統一の心理法則(p29)」が現れる
生物体の細胞が集まって新たな実体を形づくり、この新たな実体が、一つ一つの細胞の所有する性質とは非常に異なる性質を現わすのに、全くよく似ている(p30)
われわれの日常行為の大部分は、われわれも気づかない、隠れた動機の結果なのである(p31)
宗教、政治、道徳、愛情、反感など、およそ感情に関する事柄にあっては、最も傑出した人々でも、常人の水準を越えることは極めてまれである。知能の点では、有名な数学者とその他の人とのあいだには非常な相違があるかも知れないが、性格や信念の点からすれば、両者の相違は、しばしば全然存在しないか、あっても極めてわずかである。(p31)
個人個人が傑出した知能を持った人間であっても、集団的精神の中に入り込めば、人々の知能、従って彼等の個性は消えうせ、無意識的性質(感情に関することがら)が支配的になる、という指摘が印象的だった。
群衆は、いわば、智慧でなく凡庸さを積みかさねるのだ。しばしば口にされるように、すべての人は、ヴォルテールよりも才智に富んではいない。もしこのすべての人というのが群衆を指すとすれば、確かにヴォルテールは、すべての人よりも才智に富んでいるのだ(p32)
群衆に特有な性質の出現の原因
群衆の中にいるとき、人にはどのような影響があるのかについてさらに詳しく。
①群衆の中にいるとき、個人は単に大勢の中にいるという事実だけで、不可抗力の力を感じる。個人を抑制する責任観念が消失するため、本能が優先となってしまう
②精神的感染
どんな感情・行為も、群集においては感染しやすくなる。個人の本性に反する傾向であって、人が群集の一員となるときでなければ現し得ない傾向である。
③被暗示性
最も重要なファクター。②の感染は③の結果。群衆の中にいるだけで、なぜか人は暗示にかけられやすくなってしまう。無意識的な領域の支配にある状態という指摘とつながっているのかもしれない。
人間は群衆の一員となるという事実だけで、文明の段階を幾つもくだってしまうのだ(p35)
群衆の特性について
・昂奮しやすく、衝動的で動揺しやすい。
・群衆の受容は個人の無意識に近い境地で行われるため、批判精神を欠き、物事を極度に信じ込みやすい状態に陥る。しかも群衆の間では、心象からくる連想もまた事実として流布される。
想像力の変形作用が事件に付け加えるものを、群衆は事件そのものと混同する(P47)
論理学の説くところによると、多数の証人の一致した意見ということが、ある事実の正確さについての最も有力な証拠の部類にいれられている。しかし、群衆の心理についてわれわれの知っているところからすれば、論理学の解説が、この点に関してどんなに誤っているかがわかる。(p56)
・群衆のあらわす感情は、極めて単純でしかも極めて誇張的である。
これが悪質になる場合もあるが、これによって英雄的な行いが行われることもある。
群衆は、容易にある信仰、ある思想の勝利のためには身を殺すにいたるし、名誉光栄のためには熱狂するし、十字軍時代のように異教徒の手から神の墓を解放するためには、あるいは1793年におけるように国土を防衛するためには、ほとんど食糧や武器がなくても誘いの手にのるのである。これは、もちろん、やや無意識的な英雄的行為ではある。しかし、歴史がつくられるのは、このような英雄的行為によるのである。もし単に、冷静に考えぬかれた偉大な行為のみが民族の名誉になるべきものとすれば、このような行為で、世界の歴史に記録されるものは、まずないといってよいであろう。(p37)
群衆は、ただ過激な感情によってのみ動かされるのであるから、その心をとらえようとする弁士は、強い断定的な言葉を大いに用いらねばならない。誇張し断言し反覆すること、そして推論によって何かを証明しようと決して試みないこと(P62)
集団のみが、偉大な献身的行為や無私無欲の行為を行うことができるのである。(p70)
・おおざっぱに受け入れるか、斥けることしかできない
物事の受け入れ方が、推理によってではなく暗示された信仰であるため。
群衆は暴力的なので誤解されがちだが、革命的ではなく隷属を好む。本質として保守的である。
群衆は力を尊重して、善良さにはさして心を動かされない。けだし、善良さは、無気力の一形式と容易に見なされるからである。(p65-66)
群衆は、弱い権力には常に反抗しようとしているが、強い権力の前では卑屈に屈服する。(p66)
群衆の思想と推理と想像力
群衆の思想
形式①一時的なもの 個人、主義に対する心酔など
形式②環境、遺伝、世論などによって非常に強固なものになる根本的思想 かつての宗教思想や、現在の民主主義社会思想など
②は大河、①は河面のさざ波。実際には重要でないが川自体の進行よりも人の目につく
群衆を支配する思想となるためには、極めて単純な形式で、心象の形をかりて群衆の脳裏に現わされるものであることが必要
ある思想における価値の等級のごときは重要でない。(中略)その思想から生ずる効果のみを考慮すべきである(p77)
中世のキリスト教や、今日の民主主義社会思想などは、たいして高級な思想ではないが、役割としては絶大である。社会学においてはそのことが重要あのであって、思想そのものの高低は重視されない。
群衆の推理
群衆は推理能力が低い。推理ではなく、浅い連想で事象を結び付けているだけである。
大部分の人間は自身の推理に基づいて独自の意見を生み出すことができないので、群衆にもその特性がそのまま受け継がれることになる。
群衆の想像力
推理力を働かせない分、想像力が非常に刺激されやすく、想像を膨らませることのできる出来事についてはそれが真実であるかのごとく鮮明に感受してしまう。
最も真実らしくない事柄が、一般に、最も人の心を打つことなのだ。(p83)
事柄を大雑把に示すことが肝要であって、決してその由来を示さない。(p85)
群衆は心象によってしか行動できないため、もっとも鮮やかな形で心象を示す演劇が常に群衆に絶大な影響をおよぼす。ナポレオンは群衆の想像力を操るということを最も心得た為政者だった。
群衆のあらゆる確信がおびる宗教的形式
具体的には以下。
優越者と目される人物に対する崇拝心、その人物が有すると思われる権力に対する畏敬の念、彼の命令に対する盲目的服従、彼の説く教義を論議することの不可能なこと、その教義を流布しようとする欲望、それの認容を拒む者をすべて敵対者と見なす傾向、など(p89)
ここで引かれているエピソードも興味深い。
それまで祭壇を祀っていた人間が、無神論哲学者の著書を同じ祭壇に置き、ふたたびろうそくに火をともすとき、彼の宗教的信念の対象こそ変わったが、その宗教的感情にいたっては変化しているといえるだろうか?という問い(ドストエフスキーの虚無主義者のエピソードより)
群衆の意見と信念
信念がいかにして生じ、確立するか
筆者は、間接的要因(地盤)→直接的要因(引き金)の構造を唱えている
間接的要因においては、
・種族性(祖先伝来の暗示)
・伝統
・時
・政治制度、社会制度
・教育
特に「教育」については特徴的なことが述べられている。教育されることで、各々の立場や身分に不満を覚えるようになるのでかえって社会における群衆の精神を悪化させている、という論。
直接的要因
・心象、言語および標語
・幻想
・道理
・経験
経験は、群衆の精神に真実を確立し、あまりにも危険になりすぎた幻想を打破するために、有効な、ほとんど唯一の方法となる(p141)
群衆の指導者とその説得手段
指導者は思想家ではなく、多くの場合実行家
指導者の仕事は、群衆を熱狂させる「宗教」を創始すること(どういう形でもよい)
群衆に思想や信念をしみこませようとする場合には、
・断言
・反覆
・感染
→これらを経ると、「威厳」を獲得する
文学作品、芸術作品などの威厳は、まさにこれらの結果獲得されたものである
人格的威厳の場合は、成功によって獲得される
威厳の特徴は、事物をありのままに見るのをさまたげて、判断を麻痺させる点にある(P169)
群衆の信念と意見が変化する限界
信念という土台(文明全体の基礎となるようなもの)の上に、変化しやすい一時的な意見が載っている
土台の信念には、何人も抵抗できない一方、今日群衆の意見は非常に変動しやすくなっている
・旧来の信念が力を失いつつあり、これまでのように一方向の意見への働きかけが叶わなくなった
・群衆の勢力が」増大し、群衆特有の極端に変動しやすい思想という側面がさらに強く出るようになった
・新聞、雑誌の普及により、相反する意見が常に人の目にふれられるようになった
などの要素により。そのためますます群衆の扇動は容易になり、しかし支配階級(政府など)がコントロールすることは難しくなってきている。
noteにメモを取りながら読んでいたけど、まとめながら、マルチ商法のテキストでも作っているような気になってきた。
「一度群衆に入ってしまえば、個人の知性は機能しなくなる」「群衆は感情優位である」、なんとなく「自分は大丈夫」と思っていることに対して警鐘を鳴らしてくれる。
薬物防止ポスターに象徴されるような、警戒されていないもの、自分は関係ない・自分はそんなことにはならない、と思っているものに対して人は本当に無防備である。群集心理も完全にその枠のものだなあ、と本書を読んで思ったし、ある程度俯瞰でまとめたものを一読しておくことは自分が群衆に入るとき、群衆を外から眺めるとき、どちらであっても役に立つなあ、と思った。