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百年文庫63 巴


巴里の「巴」はちょっと強引な感じがした。
ここまで一文字で意味を為すテーマに準じてきたから余計に。
このシリーズ、ばちっとハマる巻と個人的にはちょっといまいちな巻があるのだけど、これはかなり当たりで三篇とも面白かった。

引き立て役/ゾラ

手練れの実業家・デュランドーは、「醜さ」を商うという意表を突いた商売で一儲けしようと画策する。人間心理の妙が痛快

「ブス」「一大リクルート」「ニューフェイス」とか、翻訳の現代語感が特徴的で、古典でこういう翻訳はあまり読まない気がするので面白かった。「みにくさを売る会社」という発想や話のテンポ感も相まって星新一みたい。ゾラ、こんな感じのものも書いている作家だとは全然思わなかった。短い作品でもとっかかりに読んでみるのは大事だなと再認識。

さぼてんの花/深尾須磨子

巴里で出会った年下の青年への恋心を燃え上がらせる、中年の「わたし」。

語り口がさばけているので語り手が男のように思えるのに、途中からはものすごく女を感じさせる中身になっていく落差が面白い。
昔の日本人が描いた海外を舞台にした作品は、なんとなく大正浪漫のような趣があって結構好きなのでこれも楽しかった。
自分をさぼてんの花に例える感性は、狂い咲きの開き直りを感じていっそ気持ちいいような気がする。

ミミ・パンソン/ミュッセ

生真面目で世間知らずの医学生ウジェーヌは、貧しくとも健気に生きるお針娘たちに出会い、心を動かされてゆく。

この作品のお針娘たちの暮らしは、ただのその日暮らし、という表現を超えた暮らしのように思える。持っている服は一枚きり、パーティーに招待された場でくすねたパン菓子を翌日の食事にして、本当にぎりぎりのところで暮らしている。この窮状がリアルに描かれるほど、彼女たちがぱあっとお金を使ってしまう様を見る時の不安感や、ミミが服を質に入れて教会へ行く姿の高潔さが対比的に読者の心にも沁みる。
最後の「知ってることを語り、持ってるものを与え、できるだけのことをする人間に、それ以上要求するのは酷だぜ」というマルセルの言葉がミミのことを的確に表している。ミミは賢くはないかもしれないけれど、いつも目の前のことに全精力を傾けて生きている。それが生活の厳しさから来るものだったとしても、その姿は美しく見える。

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