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こんなもんじゃない※追記あり

書こうかどうか迷いました。この記事。
でも、あの熱量を無視したみたいな形になるのはもやもやするので、書き残しておきます。

コンテストの結果について触れています。刺激になる方はこのままお戻りください。

昨日、「なぜ私は書くのか」コンテストの中間発表がありました。

応募したのはこちらのエッセイ↓

中間審査に通りまして、主催者である藤原さんに直接読んでいただく権利を得ました。
200を超える作品に真剣に向き合っていただいたこと、感謝いたします。
また、アドバイスをくださった方、読んでくださった方、🩷やコメントくださった方、ありがとうございました。

中間審査を担当された方が、中間審査に通った人ではなく、通らなかった人に向けてものすごい熱量でその理由を説明しています。
わたしにも学びになることはありました。
理路整然としているもので心は動かない、とか。
初対面の人にしない話題をいきなり書くな、とか。
改行がなさすぎると読みたくない、とか。
知らんがなという文章は読まれない、とか。
コンテストという競い合う場で、審査に通りたいのならその通りなのだろうなと思います。

ただ、これって諸刃の剣だなとも思いました。

わたしには自分が書きたいことしか書かないという自分に課したルールがあり、応募作もそのルールに則って書きました。
普段読んでくださっているあなたのことは思い浮かべていましたが、審査員の機嫌を損ねないとか、その辺のことは最初から念頭にもありませんでした。
だって、そんなことを考えていたら何も書けなくなるから。

初対面の人にしないようなセンシティブな話も、下の方に行けば行くほど色濃くなっていきます。あえてそういう構成にしました。
それが、「落とした理由」に書かれていた「文章の中で読み手との信頼関係を築いてから出して」って部分をクリアしていると評価していただけたのかもしれませんけど、ごめんなさい、わたしはそこまで考えていませんでした。
読んだ時に、どんどん核心に迫っていく方がわたしの世界にすんなり沈めていけるよね、でも長くなるから冒頭でサビでも歌っておくか、とそんなことを思っていました。
そこには優しさなんてありませんでした。ただ、読み手をわたしの世界に最後まで閉じ込めておきたい。それだけ。

それにね、改行。
これ、わたし、本当に釈然としていないんですけど、隙間空けなさいって文章術の記事を結構見かけます。
でも、わたしは改行だらけでスッカスカの文章の方が読みにくくないですか? という感性の持ち主です。

どこまでスクロールさせるんですか。
右側に余白が多すぎるんじゃないですか。
いつまでも次の一文が出てこなくて前に書いてあったこと忘れましたが?

って、本気で思っています。
だから、わたしの文章も詰まり気味です。自分が心地良いように書きました。
違うな、常に書籍になったら、というイメージが念頭にあります。
わたしが真剣に書いているときの記事は、文芸としてのエッセイだと思っているので、一般書籍として書店に並んでいる作品がやっていない破天荒な改行や太字やpt数変更はやりません。
でも、通った。詰まり気味の文章であっても、最後まで読めるものは読めるんです。詰まっているものは最初から読まない、と決めているのでなければ。

コンテストの概要だったか、参考作品だったかのどこかに、「下読みするのは普通の読者と変わらないような人間」みたいなことが書いてありました。
だったら、わたしには最後まで読んでもらえる自信がありました。
だって、わたしの普段の記事を読んでくださるのは、一般的なnoteユーザーだから。
何者でもない、書いて食っているわけでもないわたしの文章を、読んでくださっている方々がいるから。
それがすべてだと思いました。

さて、まだ中間です。
そして、わたしの本命はここじゃありません。まだ、何も始まっていない。


追記:
無関係なんだけど、最近見つけた面白い人。
「どうかしているとし課」とは無関係に紹介したい。
文章にグルーヴ感があるんよ。酔える。