見出し画像

『エフェソス、パトモス島への旅⑥ ~聖書を語る遺跡(前編)~』

■朝、旅行者が焼き立てパンを買って歩くとこうなる

さて、今日はいよいよエフェソス遺跡にいきます。
まだ、あたりが薄暗い朝の5:30です。昨日、バスでセルチュクに着いた時にATMキャッシングでトルコリラを入手したのですが、もう少し現金を持っておこうと思い、再度、キャッシングしようとしたらクレジットカードが使えないという表示が出てしまいました。事前の情報でクレジットカードのセキュリティで海外キャッシングをすると一時的にカードがロックされるというものがありました。次の日は使えるようになるとのことだったのでその検証も兼ねてATMキャッシングしに行きます。それから、朝の散歩がてらアルテミス神殿を見ておこうと思ったのです。
ATMのキャッシングは情報通り使えるようになっていました。

セルチュクの街は小さくて朝から出歩いている変な人はほとんどいません。当然、店もやってないのですがパン屋だけはやってました。
何というか…トルコのパン屋のパンはすごくおいしそうに見えます。

見たら絶対、買いたくなる

今日は、きっと、長い時間歩くことになると思うので昼用のパンを買うことにしました。地元のおばさんもパンを買いにきていたので焼き立てのパンを私たちも手に入れました。

さて、じゃあアルテミス神殿まで行ってみようということで店を出ると、そこにでっかいワンコがいました。とくに気にするでもなく歩きはじめると私たちに着いてきます。これもよくあることなので気にしなかったんですが、ほかのところからもう1匹、でっかいのがきました。
どうも、パンの匂いに釣られているみたい。でも、一緒に店を出た地元のおばさんもパンを持っているのに何故かそっちには着いていかないんです。
まぁいいや、おとなしいワンコたちだし…と思っていたら…
そのへんの道端に落ちてるワンコが皆、ムクッと起きて着いてきます。

ここには3匹しか写ってないけど

気づけば落ちてるワンコを皆、拾いあつめて総勢10匹くらいのデカワンコを引き連れて早朝の街を集団で歩いてました。
そのうち写真の手前に写っているワンコが私の左のももあたりに体当たりしてきます。⁈⁈⁈
いや、痛くはないんだけど…さ、ずっしり重く押してくるというか…

犬:「お~い、コイツうまいもんもってるぞぉ」
私:「コラっ!! 
  これいじょう仲間を呼ぶんじゃない!!」
犬:「なぁ、ちょっとでいいから
  ソレかじらせてくれよぉ」
私:「イヤだよ!その口、でっかいじゃん」
犬:「そんなぁ、オレとオマエのなかだろぉ」
   ドン!!(体当たり)
私:「さっき、そこで会ったばかりだろ!」
犬:「ケチぃ、痩せたワンコを
  かわいそうだと思わないのか」
私:「ぜんぜん痩せてないだろ!」
犬:「オマエもな」
   ドン!!(体当たり)
私:「…」
犬:「おっ、いいパンの匂いがする!!」
   ベロッ(左手舐められる)
私:「うわっ!!バカ、舐めるな!!」
犬:「こんなところ、ノコノコ
  パンもって歩く方がわるいだろぉ」
   ドン!!(体当たり)

なんてワンコと会話をしながらアルテミス神殿の入り口まで歩いていましたが、ゲートが閉じられていて中に入ることはできませんでした。
仕方ないから宿に戻ることにしたんですが…
どうしようこのワンコたち。
さすがに宿にみんな連れてっちゃったら、宿の主人怒るかなぁ…などと思いながら、犬たちからダメもとで隠れてみたりしましたが例の体当たりして話しかけてくるワンコだけ私のそばから離れようとしないので諦めて宿に連れて行きました。
そうだ、宿には門があったから閉めちゃえばいいか…と、思いながら宿の中庭に入ったら宿の主人が睨みをきかせていたせいか、1匹も入ってきませんでした。
よしっ!! 解散っ!!!!

地元の人は厳しいというのを知っているようで、人をみるあたり利口なワンコたちでした。トルコで野良ワンコはたくさん見ますが、話しかけてくるワンコははじめてでした。

※私はふいに手を舐められちゃいましたけど、狂犬病の危険もゼロじゃないので、ワンコ好きの方は気をつけてください。


■エフェソス遺跡の歩き方

宿に戻ってから出かける準備して、朝食にします。泊まったのは2Fでしたが3Fがたまり場兼、朝食の場所にもなっています。

トルコの朝食

朝食をいただきながら今日の予定を確認、宿の主人にタクシーの手配をお願いしました。

エフェソス遺跡と聖母マリアの家を観光するにあたって、個人旅行の場合は少し問題があります。
まず、エフェソス遺跡には④北ゲートと③南ゲートがあります。②聖母マリアの家へは③南ゲートの道を通過して山を登っていくことになります。ところが、個人でエフェソスに行く場合、①バスターミナルからエフェソス遺跡の④北ゲートにしかシャトルバスが運行されていません。
ですから、④北ゲートからエフェソス遺跡を観光して③南ゲートへ抜けて、そこでタクシーを捕まえて②聖母マリアの家へ向かいたいところですが、そこでタクシーを捕まえるのは難しいです。タクシーアプリを使うのも手ですが、観光客が多く同じように考えている人がたくさんいるのでアプリでも捕まえられない可能性もあります。
かと言って、④北ゲートから④北ゲートに戻り、①バスターミナルに一旦戻ってタクシーで④聖母マリアの家へ向うのでは無駄が多すぎです。

セルチュクとエフェソス、マリアの家の位置関係

ずっと、どうしようか考えていたんですが宿の主人が解決してくれました。
それは、タクシーを呼んで最初に②聖母マリアの家に行き、待機してもらっていてマリアの家の後、③南ゲートまで送ってもらいタクシーを降りるというものです。これならエフェソス遺跡を③南ゲートから入って④北ゲートに抜け、シャトルバスか歩きでセルチュクまで戻ってくるというもの。一筆書きのように無駄なく行動できるのです。
タクシー料金は宿で相場の表みたいなのを見せてくれて30ユーロ。まぁ、そんなものかなと思ってお願いしました。
本当にこれは助かりました。
ちなみにツアー旅行は一般に③南ゲートを利用するので時期によっては③南ゲートが激混みになるそうです。その場合、ツアー旅行は午前中に集中するので午後から入るのがよいとの情報がありました。私たちが行ったのは午前中でしたが激混みというほどではなかったです。


■聖母マリアの家

朝食後にすぐタクシーが来ましたので、まずはマリアの家に向かいます。ワンコたちどうしたかなと思いながら外に出ると、1匹の姿も見えません。当然といえば当然なのですが、ちょっとさみしい。

聖母マリアの家はセルチュクの南西方向に7km登った山中にあります。ドイツ出身の修道女アンナ・カトリーヌ・エメリッヒ(1774年 - 1824年)が19世紀初頭にキリストの母マリアの生涯などを幻視したといわれ、マリアがエフェソスの近くの丘の頂上近くに住んでいたと記録を残していて、それを元に発見されたのがこの場所ということです。発見時は廃墟だったそうですが、幻視の内容をもとに家が修復されたそうです。
セルチュクにはシリンジェという村があってこの村の人たちはエフェソスの初代教会時代のクリスチャンの子孫だとされていて、彼らは長い間、この場所の廃墟を崇拝の対象としていたという情報もあります。
カトリック教会はこの場所を正式には聖母マリアの家と認めてはいませんが、聖地として認定しているようで多くの巡礼者がやってきています。

タクシーに乗るとけっこうな勾配の坂を昇っていきます。
私は預言は信じますが、幻視というものには疑いをもってしまいます。預言は聖書に則ってなされ、語る者と聞く者に、それが神さまからのものであるという確証が与えられると思います。でも、幻視というものは一方的で聖書に基づくわけでもないので聞く側に確証が与えられません。こういう形で神さまが人に秘密を明かすようなことはないと私は考えています。
まわりの人間が助けたとしても、こんな山奥にマリアが住んで生活できていたのだろうか???
そんな風に思いながらあたりの景色を見まわしていました。

8:30、ちょうどマリアの家がオープンする時間に着きました…が、まだ、早いので人が少ないだろうと思っていたのに大型バスが何台も来ていました。クシャダスに入港したクルーズ船の観光客が予想外に多いことに驚きました。まだパトモス島のオフシーズン間際の気分でいたのです。

かなり大きな洗礼槽
マリア像
復元されたマリアの家
家の内部(Wikipediaより)
マリアの家の泉

マリアの家は小さくて見学に時間はかかりません。内部の撮影は禁止されているのでWikipediaで利用許可されている画像を借りてきました。混雑する時は入るのに行列で時間がかかり、内部は立ち止まって見ることはできないくらいになるそうです。
家の近くに泉がありますが、ここを巡礼で訪れる方はこの泉の水を聖水として扱われるとのことでした。私たちは聖水を信じはしませんが、記念にペットボトルに入れて持って帰ってきました。

泉の水を瓶に移してラベルを貼りました

マリアが晩年、ヨハネと一緒に生活をしていたというのは本当ではないかと思います。ヨハネによる福音書にはマリアの意向が入っているのではと思うところがあるからです。ヨハネはマリアがキリストの母としてどのように考えていたかということを一番知り得た人だったと思います。
ヨハネがマリアについて一切、書き残していないのは、マリアの意向で自分がキリストの母として特別扱いされることを避けるためでもあったのではないでしょうか。

そういう意味でマリアの家の本当の場所は見つからないというのが、私は正解のような気がします。


■エフェソス遺跡の探索開始

待たせていたタクシーに乗り込んできた道を戻り、エフェソス遺跡の南ゲートへ送ってもらいました。マリアの家でもそうでしたが、大型バスでツアー客が次々にやってきています。混雑期の南ゲートはチケットブースが大行列になるとのことでオンライン予約をしたほうがよいとの情報がありましたが、その通りかもしれません。

エフェソス遺跡は大きく2つのエリアに別れています。南ゲート近くはアッパーエリアと言われ政治の中心で上流階級の人々がいたとされています。それに対して古代港付近から円形劇場、北ゲートの近くはローアーエリアで一般住民の生活の場だったそうです。
とにかく広く、一面が廃墟の遺跡なので下調べしておかないと見逃してしまうところがあるかもしれません。

アッパーエリアには政治関連の施設が集中しています。ローマ帝国時代にエフェソスは自治権を保ち続けていました。エフェソスの街は上下水道が完備されていて一般エリアまでも水道が張り巡らされていたというから驚きです。この街の維持には非常に多くの資金が必要でしたが、それは裕福な人々からの資金提供で賄われていたそうです。その資金提供の見返りとしてこの街の大通りなどに資金提供者の像やモニュメントが建てられたそうで、それはすごく名誉なことだったようです。
パウロはエフェソスで活動中にアルテミスの銀細工職人による暴動で非難の対象にされますが、その時にエフェソスの書記官に擁護されているばかりか渦中に飛び込まないよう他の高官たちもパウロに使いを送っています。(使途言行録19:31)これはその人たちがパウロの性格まで、よく知っていて居場所も把握していたということになるので、かなりの親交があったのではないでしょうか。もしかしたら、アッパータウンエリア、テラスハウスなどにパウロも頻繁に出入りしていたのかもしれません。

アッパーエリアマップ

①南口ゲート
入場する前に近くの売店で飲み物を買っておきます。暑い日は水分補給が必要なので多めに買っておいた方がよいと思います。遺跡内にカフェはありますがゲート以外で飲み物を売っていたところは無かったように思います。
それから、トイレですが南ゲートは確認し忘れてしまいました。遺跡内にトイレは映像ミュージアムがあるところ近くのカフェにありますが、カフェを利用した人しか使えないようドア開閉に暗証番号入力が必要になっています。たいていは先に利用した人がドアが閉まらないよう押さえてくれたりするので大丈夫なんですけど。
とにかくトイレは少ないので注意です。

②政治用アゴラ公共浴場
入ってすぐ右手に見えるのが公共浴場です。

浴場の説明案内
公共浴場跡

③古代のイクソスマーク
この浴場からオデオンに向かう途中に「イエス・キリスト・神の・子・救世主」をギリシャ語の単語で並べ頭文字をとったIXΘΥ∑(イクソス)マークが刻まれた石材があります。迫害があった際に当時のクリスチャンが刻んだとされていますが、これがアッパータウンにあることが重要なのではないかと思います。
私たちがよく知るのは魚の形(イクソスは魚という意味)ですが、古代のマークは車輪の形をしています。これはこのマークですべての文字を表すことができるためです。

刻まれているIXΘΥ∑

④オデオン(音楽堂)
1400人も収容できる劇場のようなこの建物は政治上の会議の場として利用されたり、時には音楽会なども催されていたそうです。排水設備がないことから当時は屋根があったと考えられています。

オデオンの最上段からの眺め

⑤プリタネウム(市役所)
オデオンの隣にあるプルタネウムは市役所でしたが、アルテミスの礼拝所でもあり、ここからほぼ完全な状態のアルテミス像が発掘されています。祭壇が設けられ火は絶やすことなく灯されていたということです。街の有力者たちはここで晩餐を開いたりしていたとのことです。

アルテミス信仰の象徴でもあった
像はエフェソス考古学博物館に収蔵

私たちのアルテミスのイメージとだいぶ違うと思いますが、これが地域の地母神と結びついていたアルテミス信仰の本来の姿です。

⑥神殿回廊

オデオン、プリタネウム前を貫く回廊

⑦政治用アゴラ
ほぼ何もない広場になっていますが政治上、重要な商取引などがされていたそうです。手前の地中に赤茶の菅が埋まっているのが見えると思いますが、これが水道管だと思われます。

広場を囲むよう建物があった

⑧ドミティアヌアス宮殿

政治用アゴラの奥にローマ帝国11代目の皇帝ドミティアヌスの宮殿跡があります。ドミティアヌスはキリスト教を迫害し使途ヨハネをパトモス島へ流刑にした皇帝として知られています。彼は多くの元老院をも処刑したとされていて暴君と評され、最期は暗殺されて彼の業績は抹消されてしまいます。
ドミティアヌアス宮殿の隣には神殿もあり、彼の彫像がありましたが、キリスト教徒によって破壊されたとされ、エフェソス考古学博物館に頭と握りこぶしの手だけ残って収蔵されています。

神殿と宮殿は見る影もない廃墟
抹消されたドミティアヌス

⑨ニケのレリーフ
スポーツメーカで知られるNIKEのマークのモデルになったと言われていますが、実際のところどうなのかわかりません。このレリーフは近くのヘラクレスの門に飾られていたと考えられています。

有名なあのマーク?

⑩メミウスのモニュメント
紀元前、エフェソスの住民はローマ帝国の支配に抵抗してポントス国王ミトリダテス6世を頼り、紀元前88年にミトリダテス6世が西アナトリアを征服した際に8万人ものローマ人が虐殺されたとされ、その慰霊碑として後年、建てられたそうです。

モニュメントというより慰霊碑

⑪ヘラクレスの門
クレステ通りにまたがって建てられていて、海側のアルカディアン通りから入ってくる馬車をこれ以上先に行かせないようにしていたそうです。柱が2本しか残っていませんが階段状で柱の間が狭くなっています。この上にニケのレリーフがあったようです。

ヘラクレスの門
指、入っちゃってますけど…
門からクレステ通りが見渡せます

⑫トラヤヌス帝の噴水
2世紀に建てられた噴水で一部のみ修復されています。

修復中のためか少し柱の長さが短いような
右下が元の建物

⑬ハドリアヌス神殿
ローマ帝国の五賢帝といわれる14代皇帝のハドリアヌスを称えて建てられた神殿。前面のアーチの中央には細かい彫刻とともに女神とされるテュケのレリーフが飾られ、奥の門上のレリーフはメデューサだといわれています。
この門の装飾は実はレプリカで本物はエフェソス考古学博物館に収蔵されています。

このアーチは非常に奇麗で目立ちます
繊細で見事な彫刻です
メデューサでしょうか

この隣にはスコラティカ浴場(ヴァリウス浴場)があります。
1世紀初頭に建てられたとされていてパウロの時代にもあったと思われる浴場です。貧富を問わず誰でも利用できたと言われていますので、パウロが利用することもあったかもしれません。
スコラスティカという女性の財産家によって個人の財力で改修されたというから驚きです。エフェソスにおいて女性の権限や地位が高かったと言えるかもしれません。

ヴァリウス浴場として紹介されている
お湯の配管でしょうか

⑭テラスハウス
ここは上流階級の人たちの邸宅跡で別料金になりますが、見逃さないようにしたいところです。非常に保存状態が良くて床はモザイクがきれいに残っており、壁には漆喰が塗られ絵が描かれています。邸宅のつくりも贅沢で中庭を中心に部屋が配置されていて調理場、葡萄酒の貯蔵庫などもあります。ここで出土した生活用品はエフェソス考古学博物館に収蔵されています。

階段状に複数の邸宅が並びます
壁面下のマーブル柄の石壁を修復中
壁のデザインが統一された邸宅
絨毯のようなライオンのモザイク
調理場でしょうか
ポセイドンのモザイク
上から見るテラスハウス

アルテミスの暴動でパウロに出ていかないよう呼びかけた高官たちはこのあたりに住んでいた可能性があるのではないかと思います。もし、パウロが街の有力者とも親交があったとすれば、ティラノの講堂もひょっとするとこのような邸宅の一角を借りていたのかもしれないと思いました。このようなところでは妨害するユダヤ人の手も及ばなかったのではと考えながら見ていました。
テラスハウスから出てクレステ通りに戻る階段があるのですが、この横は
エフェソスの街中に水を供給する水路があったようで階段を降り切った右の建屋にポンプ室があったというから驚きです。私はここを通った時には気づかず後にエフェソス考古学博物館の映像説明で知りました。もっとよくみておけばよかったと思いました。

右下がの図がポンプ

⑮公衆トイレ
ローマ式なのでしょうかヒエラポリスでの遺跡でも同じようなトイレをみました。隣の人との間に遮る物がなく、当時は世間話などをする社交の場だったそうです。ニャンコがトイレに手を突っ込んでカメラ目線しています。

下に水が流れる水洗式です
もっと近くで撮れだそうなので

⑯娼館
正直、どのあたりが娼館だったのかよくわかりませんでしたが、位置としてはクレステ通りから大理石の道に曲がるあたりの角付近だったようです。この位置、高級住宅地のテラスハウスの正面、通りを挟んでちょっとのところにケルスス図書館、そしてクレオパトラの妹だったアルシノエ4世の霊廟近くです。かなり目立つ一等地にあったことがわかります。
当時、エフェソスの娼婦は政治的影響力も持っていたそうです。エフェソスはアマゾネスがつくった街だと信じられています。さらに地母神アルテミスを祭り男性の祭司は忌まわしい崇拝のなかで自分の性器を切って地母神に捧げ、女性として生きたといわれていますので、道徳的にも性的にも歪んだ女性上位の思想が根底にあったと思われます。そのためパウロはエフェソスを任せていたテモテに対して、あのように手紙を書いたのだと思います。

クレステ通りの曲がり角のこのあたり



アッパーエリアの紹介はここまでとなります。


この記事が参加している募集