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【連載小説】公民館職員 vol.16「失恋」
待ち合わせ当日、おっさんは私よりも早く待ち合わせの喫茶店についていた。珍しい。
いつもは仕事が長引いて私が待つことが多い。だから今日も文庫本を持ってきている。
おっさんに近づき、話しかける。
「ピンポーン、お邪魔します」
おっさんが雑誌から顔をあげる。
「おぉ、お前は来るのが早いな」
「定時であがる職場なので」
「ほな、ちょっと早いけど、行こか」
「まだコーヒー残ってますよ」
「あぁ、そうだった。ちょい待ちいな」
私は向かいの席に腰かけると、お冷やをもらった。
「なんやねん、ニヤニヤしてからに」
「別に〜」
ホントは今日、好きですって告白するつもりだ。
だからか、ニヤニヤが止まらない。
告白のタイミングは、乾杯してから。
そう決めてきた。
下着も勝負下着だったりする。てへっ。
いつもの通り、私が仕事の話をして、おっさんは頷いて聞いてくれる。
ちずるとのことも、おっさんには安心して聞いてもらえる。
コーヒーを飲み終わると、店を出た。まだ少し早いけれど、店に行こうかという話になり、足を向ける。
今日の私はすこぶる機嫌がよい。
お店についてから、おっさんが、
「いつもの赤ね」
と頼む。私も最近は一緒のものを飲んでいる。
ワインが注がれて、乾杯、とグラスをあげる。
私が話そうとした瞬間とおっさんが話そうとした瞬間がかぶった。
私は、お先に、と促す。
おっさんもお先に、と促す。
しばらく促し合いが続いたが、二人とも吹き出してしまい、おっさんが話すことになった。
おっさんはすごく真剣な顔をして言う。
「今夜、ユキちゃんを俺のものにしたってええか?」
私はドキドキしながら、
「はい」
と言おうとすると、おっさんが表情を崩して言う。
「嘘だよ〜」
私は膨れっ面になり、
「本気にしかけました!」
と抗議する。
しかし、おっさんはまた真面目な顔をして言う。
「ユキちゃん、お前には悪いんだけど、一つニュースがある」
「えっ、なんですか?」
「わし、東京事務所に異動になったんや」
頭がガンガンする。自分の耳を疑う。
「それって、いつから……?」
「9月1日からや」
「嘘……え……だってもう、過ぎてるんじゃ?」
「今日は残務整理なんかもあったから、こっちに戻ってきた」
「……引っ越しは?引っ越しはしたの?」
「8月末にな、したんや。ほんまは一言言ってからと思ったんやけど、お前が……」
「私、ついていきます」
「そう言うと思ったから黙っとった」
「なんで……」
「わしの給料じゃ、二人ぶんはまかなえないからな」
「そんな……」
「せやから、一人で行くことに決めた。」
前菜が運ばれてくる。
おっさんは、フォークに手をかけると、食べ始めた。
私は食べれなかった――
「そんなの、勝手過ぎるよ……」
涙がポロポロとこぼれた。
「で、ユキちゃんの話ってのはなんや?」
「私、田尻さんのこと、好きです。ずっと一緒にいたい」
そこまで言うと、また涙がポロポロこぼれ落ちた。
「ユキちゃん、ええから、食べりぃ」
渋々前菜を口に運ぶ。
こんなときでも、この店は旨いと感じさせてくれる。ありがたい。
少し泣き止んだ私は、もう一度おっさんに聞いてみる。
「向こうでパートとかするからさ。結婚式はなくていいし、ささやかに暮らせれば……」
おっさんはまた真面目な顔をして言う。
「この地に骨を埋めるつもりで公務員になったんやろ?筋は遠さなあかんで。それに、パートなんかするより、俺はこの地で、お前が幸せに暮らすことのほうが嬉しい。いつかまた、この地にも戻ってくるかもしれないやろ?そんときに、お前が幸せになっていれば、それでいい」
おっさんの眼差しは強くその決意を語っていた。
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