言葉にできない「センス」の正体とは?
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前提とゴール
「前略、センスとは?」
いきなりですが、吉田(Thom Yoshida)の写真は全て独学です。
会社には属していましたが、写真に関しては師匠も上司もいなかったので
全部調べてトライアンドエラーで習得しました。
いろんな人に聞きに行ったし、様々なセミナーという類にも参加しました。
その時に頻繁に使われる言葉として「センス」がありました。
質問をすると決まって回答の中ででてくる魔法の言葉
「それは撮る人のセンスだよね。」
あぁ、またか。また、始まってしまったか。
という失望に近い感情。
じゃあ「センス」がないとできないんですか?
ってその場で言いたくなるのですが、ぐっと飲み込みます。。
国会的答弁をするなら、「これは説明責任を避ける為の言い訳である。」と指摘したくなる話です。
ちょっとだけ要因を考えてみると大きく原因は以下で
・本人がそもそも言語化(細分化)できていない
・説明の伝達レベルが低い(フォトグラファー≠説明の専門家ではない)
・撮影スキルのレベルが低くて解説不可
などなどがある。責めても何も始まらないので
じゃあ「センスがある」ってどういう状態なんだ?と考え始めました。
「センス」というワードを考えた時に最初に浮かんだ言葉があります。
「神は細部に宿る。」
作品制作にあたって必ず言われる言葉です。
そしてこの言葉の裏として
細部にこそオリジナリティ(独自性)が宿るとも解釈しています。
さて、ここで人間の行動について考えみます。
認知行動心理学的には以下
まとめると、理想の結果が得たければ、まずは現象を認知しなければならないです。
人間の場合の認知のほとんどは視覚的情報です。
ということは視覚的情報、つまり観察する眼が必要ということになります。
観察する眼が肥えている=観察力とだいたいは定義されます。
他の人の撮影を観た時にいかに詳細まで観察できるかが鍵ということである。みる眼があるかないかということです。
話は戻ってきて、じゃあ「センスがある」ってどういう状況か?
を考えてみます。
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