人気者・人気作品の苦悩、呪い
人気者や人気作品の作者は、常に苦悩を抱える運命にある。なぜならば、周囲からの期待値が高くなりすぎてしまうからだ。
スポーツ選手だと、大谷翔平・イチロー・松井秀喜などだろう。将棋だと羽生善治や藤井聡太、人気俳優やアイドルもそうだろう。
作品だと、ハリウッドの人気映画シリーズなどがそうだろう。
元プロ野球選手の清原和博は、甲子園や西武ライオンズでの活躍が凄すぎたせいで、巨人移籍後に世間からの期待にこたえられず、苦悩を抱えた。そして、苦悩から逃げるために違法薬物に手を出してしまった。
違法なことをせずとも、苦悩を抱えた人はいる。映画監督の庵野秀明だ。彼はアニメ専門だと思われているが、実際は実写映画も得意とする(どうでもいい話だが、元彼女が庵野氏の実写映画のファンだった)。庵野氏は、新世紀エヴァンゲリオンがあまりにも人気が出すぎたために、完結編となる映画の結末をつくるのに苦悩したようだ。結果、庵野氏は「アニメに逃げるなヲタ、現実にもどれ」という、ファンには厳しいメッセージを完結編映画には込めたとされる。それでも、私にとっては素晴らしい作品だったが。
映画やアニメ、ゲームのシリーズものは、常にコアなファンとライトなファンを意識しなくてはならない。ライトなファン向けには、万人向けする要素が必要だ。一方で、コアなファンはそれでは満足しないのだ。コアなファンの難しいところは、昔から作品を愛しているので、「変わらない根幹」を求める一方で、「またいつものパターンか」と同じすぎると嫌がる点だ。コアなファンは愛するがゆえに、作品に厳しくなり、期待値を上げてしまうのだ。ゲームの場合だと、最近のドラクエやファイナルファンタジーがボロクソに言われるのは、過去の傑作と比較されてしまうからだ。人気シリーズの宿命である。過去の傑作と戦わなくてはならないのだ。
思い切って大胆な変更をして生き延びたシリーズもある。アメリカの人気コミック、スパイダーマンは、今までの白人の主人公から、有色人種の主人公に変更された。ダイバーシティを意識してのものだろう。また、スーパーマリオも、今までは捕らわれの身で助けを求めるだけだったピーチ姫も戦うようになった。ジェンダーフリー時代を意識したのであろう。
だがしかし、大胆な路線変更は、古参ファンが離れるリスクがあり、非常に難しい。私が、マーケティングや商品開発が(文系でも就ける職業では)最も難しい仕事だと考える理由はこれだ。
大胆な路線変更をせずに新鮮味を与える方法もある。外伝(スピンオフ)といわれる、本編から離れた作品を作る方法だ。ルパン三世でも、「峰不二子の嘘」などがこれにあたる。ルパン三世の古参ファンは、エッチなシーンや激しいブラッディな戦闘を好む。そのため、ライトなファンを失わずに古参ファンにサービスしたのであろう。自動車でも、トヨタ自動車が「トヨタ」以外のブランドを持つのがこのやり方だ。トヨタは大衆ブランドなので、わざと高級ブランドの「レクサス」をつくって差別化した。大衆と高所得者の両方をとる作戦だ。
コアなファンとライトなファンの両方を失いたくない。常に期待値を超えたい。人気者や人気作品の著作者は密かに苦悩を抱えるのだろう。ある意味、「東大生」なんかもそうだろう。日本一だからこそ、苦悩する宿命なのだ。京大や一橋大学、早慶のほうが気が楽かもしれない。