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旅先で久しぶりに教会で良い出会いをし思う

教会がどんな所か知ってる?

1)教会は合う合わないがある
学校や職業のように、合わない教会は存在する物。そのため教会のサイトや知人の話をよく聞いてから行ったほうがよい。

2)教会の種類は○○ある
キリスト教の中でも宗派は存在していて、学校ではカトリックとプロテスタントと習ったが、実はそれ以上の細かい宗派に分かれていることを知らないと自分に合う教会は見つけにくい。
2·1)カトリックとプロテスタントの違い
基本的にカトリックのほうが厳しいイメージ。聖母マリアにも祈る、教皇がトップといった大きな違いがある。
2·2)エホバの証人はカルト団体。キリスト教ではない

3)何をもってクリスチャンか、は個人による
毎週教会に行くことに強制も義務づけもない。毎日聖書を読むといったルールもない。したがって何をもってクリスチャンか、は自分でそう思うならいいと思う。私自身は聖書は既にひと通り読んだし祈りも断食もしない。キリスト教のもっとも大事な教えは隣人愛、人に対し思いやりも気遣いもない時点でクリスチャン失格だと思ってる。

4)教会はコミュニティー
コミュニティーと同様、色んな人はいる。合う人とだけ仲良くしてもOK。合わない人は気にする必要はないと思えば楽。が、教会は本来心が休める場所。居心地悪いとなったら、次へ進む必要があるのかもしれない。

5)教会は、心を休める場所であるべき
ルールに縛られて疲れちゃうのなら、本末転倒さ。行く価値も通い続ける義理はない。そもそも教会にルールなんて必要はないはずだ。嫌な事は嫌と言う権利はこの世界に存在するのに、うちの教会はこうだからと押しつけるのは、烏滸がましい。
イエスはみな謙虚であるべきと望んでいるし、牧師だからとやら君より先にクリスチャンになったからとやらなんて、傲慢極まりない。

読んでいた小説にこう書いてあったのを思い出す。

クリスチャンが君を傷つけたとき、激怒や失望して当たり前だし誰にも君を責める権利なんかないさ。しかし、神様はいつだって正しく、いつだって君を愛しているんだ。

The Confession - John Grisham

教会に結構通ってたのにスタッフ関連じゃないからと私を気遣うふりした偽善者たち。私がとある横浜の教会に行かなくなったのはそれが原因だった。
心の傷は深く、間違っている自覚すらない人たちに反省を求めても相手にされない事はわかっていた。

旅先では良い方たちと出会えた。また傷つけられる怖さはあるにはある。最初が良くても段々裏の顔が見えてくる可能性を恐れているのだろう、私は。

でも、教会は心を休める場所ではあるが、心の治療をする能力は彼らにはない。クリスチャンだからといって、じゃないからといって、心が通じ会えないとは限らない。

似たように見える人も、同じ人はこの世に存在する事はあり得ない。ひとはレッテルで判断できない、それが世界の暗黙の掟だ。

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