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私は何者なのか、国籍が代弁してくれるのか

少し、自分のディープで軽率に触れられたくない話を、打ち明けたい。

私は、複雑な家庭環境で育った。
シンガポール人の母、日本人の父。
周りから羨ましいと言われても、羨望の眼差しにはむしろ嫌味さえ感じた。

シンガポリアンとして生きたい私には、日本の名前も周りのレッテル貼りも、足枷で重荷でしかだったのだ。

日本人かのような見た目と、英語も中国語の名前もない私が、日本人にしか見えなかったでしょうが、それがずっと嫌だった。

ハーフと呼ばれるのも自称するのも本当は嫌。
私はシンガポリアンだ。
私の血縁が何処の誰であろうと、シンガポール人として生きている事実に変わりはない。
でも、「シンガポール人だ」と言っても、すんなりと受け入れてくれる人は、いなかった。

だからこそ国籍に執着したのだろう。
国籍はただ海外で安全を保証するパスポートでも、軽々と気分で変えられるモノでもない。
国籍は、個人のアイデンティティだ。
シンガポール人だと肯定してくれる。

だけど、何かしらの発達障害を持っている父には、私の国籍は単なる日本で生きやすくする便利グッズでしかなかったのだ。

ずっと苦しかった。
日本人として生きねば、というプレッシャーは耐え難いものでどんどん鬱になっていった。

21年間、私はからくり人形かのように自分の意志がなかった。
自分を守ってくれるはずの家族は私を全面否定する監査官で、安心できるはずの家は牢獄であった。

そこまでなのか、と信じてくれない者にはもう理解を求めない。
私は私の一番の理解者であり、自分にだけは、嘘をつかない。
周りが自分を信じてくれなくても批判してきても、私は、何としてもシンガポール人の誇りを忘れないように踏ん張ってきた。

私は、今までシンガポール人として生きてきたし、これからも、シンガポール人として生きていく。

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