オワリはじまり22 「祖母の鞄とBPSD」(2300字超)

昨日、11月23日木曜日(勤労感謝の日)は父も休みということもあり。
夕方から祖母も含めた3人で墓参りに行った。

昨日のブログで書いたが、僕は昨日朝活として勉強をした。
ブログを書き終わった僕は予定通り、海に行き、海から帰宅した後2時間程度仮眠をとることにした。そしてその後はというと、午前と午後に追加で1時間程度ずつ勉強をしていた。

そんな勉強中に僕が知らない医療(介護)用語が何個か出てきたので、いつもノートを取っているiPadのアプリ「Good Note」の介護保険のノートの片隅に知らない用語を全て残し、加えてそれら用語の意味をメモとして残すことにした。

その中の一つが「認知症の行動・心理症状」
(BPSD :Behavioural and Psychological Symptoms of Dementia)という専門用語だ。直訳すると「認知症の行動的・心理的症状」だが、本にはこのように略されていた。英語が大好きな僕的にはBPSDの方が意味がパッと浮かぶので、この記事ではBPSDと書いていく。僕が記したノートには「物取り妄想や徘徊、拒否=BPSD」と書いてある。

この勉強をした数時間後、実際にBPSDの症状を実際に目にするとは思わなかった。

ここからは、何があったかを書いていく。
墓参りをするにあたり、僕が家で準備をする間に父が祖母を施設でピックアップ、その後僕が待つ我が家に久しぶりに帰ってきた。僕は車の音が聞こえたので、玄関を開けると父が車から降車、その数秒後に後部座席の扉が開き祖母が降車した。

「もしかしたら、父さんは"また”家に上がらせようとしている?」

この感情に陥ったのは仕方ない。
父には僕がいない間に祖母を家に上がらせた前例が何度も何度もあるからだ。
父に話を聞くと、祖母が催したらしくトイレだけ使用したいとのことだった。

祖母がトイレにいる間に僕は車に乗車した。
その時父は玄関ドアの外でスマホを操作していたので、父に祖母が用を済ませた後に勝手にトイレ以外の部屋に移動することを防ぐために見張るよう頼んだ。僕も車から確認できるトイレの電気がついているかどうかをずっと見ていた。

トイレの電気が消えて1、2分が経った後、ヨボヨボ歩きの祖母が父の手を借りつつ玄関から外に出てきたことを確認した。祖母が無事に車に乗り込んだあとすぐ、父が忘れ物をとりに家の中に入り、車の中は僕と祖母の2人きりの環境となった。

そこから3分が経ったぐらいからだろうか?
シートベルトを無事閉め、落ち着いていたはずの祖母が急にソワソワし始め、そしてある言葉を発した。

「私のカバンはどこにあるのかね?」

私のカバンとは、祖母が唯一持っている青色(緑色?)のナップザックのようなカバンのことである。介護期間中は外出時に常に持ち歩いていたことは知っているが、僕が知る限り、施設入居後に祖母とあった3回ともその鞄を持っているところを見たことがなかった。前述の祖母がトイレに行くために車から登場した時、僕は祖母がその鞄を持っていないことを確認している。

そこで僕は祖母に「ばあちゃんは今日鞄を持ってきてないよ。さっき車から降りた時手に持ってなかったよ。」と事実を伝えるのだが、ここからが大変だった。

祖母「私のカバンはどこにあるかね?」
僕「だから持ってきてないよ。」
祖母「いや玄関に置いてきたに違いない。」
僕「さっき、ばあちゃんが車から降りる時見てたけど、手に持ってなかったよ。」
祖母「なら、どこにあるのかね?」
僕「知らないよ。」
祖母「玄関にないのなら、さっき上がった時にリビングに置いてきたのだわ。」
僕「それもないって。ばあちゃんは車とトイレを行き来しただけだよ?」
祖母「私、もう一度確認してくる。」
僕「必要ないって、だって持ってきてないものは無いものは無いんだもん」
祖母「いや、私は知っている。玄関に置いてきた。(車のドアを勝手に開ける)」

祖母がこの状況になったら誰も手に負えない。
誰のアドバイスも聞かず、勝手に強行突破。
この時の自分は怒りを覚え、少しキツめの言い方をしてしまった。
祖母が施設に入居して以来、祖母の言動が以前と比べて落ち着いていたと思っていたが間違いだったようだ。

ちなみに、強行突破した祖母はちょうど玄関から外に出てきた父に対し、先ほど僕に対し質問した内容を父にもハイテンションで質問したものの、僕と同じように事実をキレ気味に言われ、何かぶつぶつ言いながら車に再び戻ってきた。

車が出発してもなお、ずっとカバンのことを心配している祖母を見ていると、
僕は脳内でBPSDという午前中に学んだばかりの言葉が浮かんだ。
そう、祖母のカバンという存在が今回のBPSDの引き金となってしまったのだ。

きっと、今後勉強中に僕がBPSDの定義を調べることはないだろう。
さきほど学んだ内容が実際に目の前で起こるというのは悲しいことだが、こういう状況は学んだことを確実に知識にするために最適な状況である。

ちなみに墓参りをした後、僕たち3人はいつものレストランに行った。
そこでも祖母はトイレに行ったのだが、その際に僕は父にこう伝えた。

「今日も介護保険の勉強してて気づいたんだけど、さっきばあちゃん『カバンがない』って言った後すごかったやろ?あれね、BPSDって言ってね…〜中略〜 だから今後はばあちゃんとどっか行くときは鞄を持たせようよ。じゃないと今回みたいに大変になるよ。」

英語学習もそうだが、勉強した内容をアウトプットすることは覚えるためには最重要なことである。祖母が存命していて、まだ認知症の存在とは離れられない現時点で介護保険の勉強をしていてよかったと思う。


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