【三寸の舌の有らん限り】[08]-児玉源太郎01-(979文字)
明治36年10月1日、参謀本部次長の田村怡与造が死去した。
対露作戦計画の立案中心人物であったことから、その衝撃の度合いは大きい。
無二の良将を喪った、とそう陸軍大臣の寺内正毅は山縣有朋に宛てた書簡の中で吐露している。
後任についてはすぐに決まらなかった。
参謀総長の大山巌は同郷の鹿児島出身で姻戚関係のある伊地知幸介を、という意向があったが、陸軍大臣の寺内正毅がこれに反対した。
参謀本部総務部部長の井口省吾は第二部長の福島安正を推したが、参謀総長の大山巌が賛成